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梅星の日記ページへようこそ!

2007年2月2日 (金)  
  昨日は、40年前の人気TVードラマ「青春とはなんだ」「これが青春だ」「でっかい青春」など青春学園ドラマを監督し、そして近年では「鬼平犯科帳」の監督をされた高瀬昌弘氏の脚本・演出による「掌一杯の温もり」のお芝居に監督からご招待いただき、新橋の内幸町ホールに出掛けました。
 
 私が監督にお声をかけていただきましたのは前座の頃ですから、あれからもう7年程経っていると思います。ご病気になられる4年前までの3年間は、世田谷文学館のお仕事や鬼平の朗読や散歩等に声を掛けていただきました。それからは、お手紙やお電話で・・入院されていた時には、毎日励ましの葉書を書かせていただきました事もありました。
 
 久しぶりにお会いした監督は、毎日の芝居にお顔を出され、そして自らも舞台に出られて大変お疲れな筈なのに気力で保たれてるように見えました。
 
 新作ネタも「鬼平犯科帳 昔の男」をいただきましたが、暫く掛けてませんでしたが、今度の梅星勉強会では鬼平縁の場所で小さな会を開き「鬼平犯科帳」を語りたいと考えております。
 
 講談は高座百遍、何でも場数だな〜と自分の高座も含めて稽古不足を改めて反省した一日でした。
 

2007年2月1日 (木)  
 新潟からは28日深夜に戻りました。地元の皆さんが手伝ってくれたお陰で、後片づけの為にもう1泊しないで済みました。戻りましてから、昨日の二つ目の会のネタ覚えてました。どうしたって2日間では、いくらネタ下しでも無茶苦茶でした・・反省。
 
 さて新潟では、今年は雪が殆ど無かったので、サンダル履きでも出掛けられる気軽さでしたから梅桜寄席はお客様が大勢来てくださり賑やかでした。
 1月には毎年恒例の噺家の師匠の獅子舞がありました。お獅子に頭をカチカチ噛んでもらうと、身体健康・家内安全!しかし、そのお獅子の師匠が糖尿病気味というので、いつもより元気がないのがちょっと心配です。
 
 実は、24日に船の科学館辻講釈が朝日新聞の夕刊に記事が掲載されましたが、今度は北海道新聞の記者の方が取材してくださることになりました。これも朝日新聞社会面に大きく記事を載せていただきましたお陰です!
「宗谷」は6度の南極への旅の後に北海道の巡視船となって海難救助、「北の海の守り神」とまで言われておりましたし、また稚内の犬ぞり訓練所(現在は南極観測犬ぞり隊訓練碑が建立)や、利尻では越冬中に病気で死んでしまったカラフト犬ベックを飼っていた方もおり、南極とは縁が深いところです。
 
 先日北海道の実家では、母の妹(20年前に他界)の夫、私にとっては「叔父さん」が2年前に脳梗塞を患って治療リハビリしておりましたが25日留萌の施設で亡くなりました。食事中に喉に食べ物が詰まったそうです。検死結果詰まった物はゼリーだったそうです・・・。何でも、喉に詰まる食べ物で多いのは、餅の他に、缶詰めの桃、ゼリーの3食品が最も多いそうです。要注意な食べ物だったんですね・・。
 私達家族一同が、すでに亡くなった叔母とこの叔父さんに大変お世話になりました。だいぶ良くなったというので、今度会える事を楽しみにしておりました矢先でした・・私は残念ながら葬儀に行かれませんでしたが、出棺の時に、喪主のいとこが「父さん、母さんに宜しく・・」と、母は「妹に宜しく・・」野辺の別れを告げたそうです。また一人、私の大切な人が星になりました・・合掌。

2007年1月26日 (金)  
 あ〜、昨日は何だか疲れました。

 姉が月曜日からずーっとめまいがして寝たり起きたり、この頃は吐き気までするという。耳鼻科で診察したいけど病院が、建物は立派なのに耳鼻科は31日でないと医師が来ないそうで・・内科で看てもらったそうです。異常がなかったので良かった・・ホッと一安心です。それが心配で、午前中はただウロウロしていました。姉や母に何かありましたら大変ですから。それにしても田舎は医師不足が切実な問題ですね。
 
 これから新潟に参ります。梅桜亭は新年会ですぞ・・・。た、体力充電しそこなったか・・。

2007年1月24日 (水)  
 やっと「梅星通信」をお送りする作業が一段落致したところです。日数が掛り過ぎましたが、今後はもう少しスピーディにしなきゃ〜。でも後援会「〜通信」とか云っても自分でやるんですから、昨年12月は勉強会の案内を出していましたので、何だか毎月DMの内職をしている気分です・・。こういう事で講談の集中力が途切れるのは考えものですが、これも仕事の内です・・ふぅ・・。

 昨日は皮膚科に・・この前どこぞのレーザークリニックが、保険適用されていない治療患者のカルテを重い病名にして保険適用に、両方から利益を得ていたという・・。私が通ってるクリニックではありませんが、保険が利かないけれど私のは、美容目的ではなく病気の治療なんですから確定申告では医療控除になる筈ですよね。先月ここで、紅白の名物歌手Mさんをお見かけしたが、堂々と来られていました。素顔だと思いますが、やっぱりお肌のお手入れ(?)バッチリ資金かけてるいるようで流石芸能人です。私なら、例えお金があったとしても、自分が理解出来ない科学的な治療法の、無いとは限らない副作用等を考えるとあまりやりたくありません。汗管腫の治療だからこそ通ってますが・・。
 
 う〜、猪突猛進の猪年ですが、これまでの失敗がありますので計画的に行動したいと思います。

2007年1月15日 (月)  
 昨年暮れに壊れてしまったプリンター、さるところから新しいのをいただきました。今まで使っていたものは前時代の機種でしたが、今度のは写真のプリントもきれいです。プリンターが良くなると、今度はデジカメが欲しくなる・・・。

 船の科学館での辻講釈も13日に3回目を終わりました。只今企画展をやっておりますので、今回はその前でやらせていただけました・・でも、やっぱり一時間は長かったか。他にもも見るところが沢山ありますので、なかなか長いこと聴いていただくのは大変です。

 2月25日までは3階で企画展開催中ですから、来月もこの場所でやらせていただけるようです。次回は様子がわかりましたので時間配分なども少し工夫したいと思います。

 ところで、今月の29日は日本が南極に第一歩を踏み出し、昭和基地が開設された日から50年目に当たります。船の科学館の企画展では、カラフト犬の剥製や犬ぞりや写真なども展示していて、当時の様子が良く分かります。これまで南極に興味がなかった方でも是非必見ですよ〜。何でも50年目というと、連鎖反応で何かしなきゃ〜と焦りますが・・目下「梅星通信」発送にもう一日かかりそうです。なお、次回の船の科学館での辻講釈は2月17日(土)です。

2007年1月11日 (木)  
 狭山市水野公民館「水野実年大学生」で講演させていただきました。自然に恵まれた環境の中にあり、児童館と学童保育室が併設された穏やかな良いところです。何と館長さんが女性でした。しかも館長自ら車を運転して送迎をして下さり、とっても恐縮してしまいました。水野公民館の方は皆さんいい方ですっかりくつろいでしまいました。

 ただ、肝心の喉の調子が悪く、2時間という長丁場の講演でしたので「実年大学生」の皆さんもしんどかったかも。これまでにも他の公民館等で2時間講演はやらせていただきましたが、実際には休憩を挟んでも1時間30分〜40分くらいで終了していましたので、今回、ギリギリ2時間というのは正直初めてでした。休憩を挟んで「南極第一次観測隊物語」ノーカット版で長講一席でしたが、お客様方、長講2時間の私の講談の毒気に当てられて体調を悪くされなかったか〜と心配です。

 ちょうど今、宇宙飛行士の毛利さんも南極に行っていることですし、南極観測の話は、映画「南極物語」よりも、この講談が一番真実に基づいてるのですから、ぜひ一度は聴いていただきたい新作講談です。

 南極観測50周年記念イベントでは、この話に羽野さんが雄大な音楽を付けてくれました。これをそのままにしておくのは勿体無い、それにこの話はどうしても説明が多くなるので、音楽が入った方がお客様はわかりやすく退屈しないで南極での情景が浮かびます。私が失敗しない限りはいい作品になる事請合いです。

 これからは、ご予算が合いましたら、音楽入り「南極第一次観測隊物語」をあちこちで公演させていただけるように活動したいと思います。ご依頼をお待ちしております。

 さて、船の科学館3階で企画展「南極観測 いま・むかし物語」開催中です。今回の辻講釈は企画展で2時からやらせていただきます。もちろん演題は「南極第一次観測隊物語」です。南極での写真展やジロにも会えますよ。

 なお、昨年暮れにお送りする予定の「梅星通信」、遅れましたがやっと出来上がりましたので、これから発送作業をいたします。

2007年1月5日 (金)  
 昨年のお正月、国立劇場「初春歌舞伎公演」の初日を楽しみにしていましたが、2日に父が亡くなり慌てて帰省したので観ることが出来ませんでした。そのチケットは今でも大事にしまってありますけど。

 それにしても年々盛り上がる新春歌舞伎、今年もどうにか初日のチケットを確保できました。何でも昨年は、菊五郎さんと富十郎さん直々の振る舞い酒があったそうですから、今年もと期待していたのですが・・残念ながら今年は挨拶だけ、お酒をつぐのは職員の人たちでした。

 今年は国立劇場開場40周年記念ということで、166年振りの通し狂言「梅初春五十三驛」。京の都からお江戸日本橋まで舞台が変わっていくというロードムービーのようなお話。菊五郎、菊之助親子の共演で、前の席でしたのでよーく見えましたよ。

 この日は宇宙飛行士の毛利衛さん、登山家の今井通子さん、作家立松和平さんが南極の昭和基地開設から50周年を記念するイベントの一環として、南極観測活動を視察するため南極へ出掛けたのでした。まだまだ「南極」と「宗谷」はこれからも盛り上がりそうで嬉しいです。
 
 毎日出掛けておりましたので、やっと今日あたりは寝正月の気分を味わいました。年賀状をいただきますとやはり新年らしい気分になります。でも今年は欠礼にさせていただきますので、いただいた方には寒中お見舞いか或は立春でお返事をさせていただきたいと思います。

2007年1月2日 (火)  
 謹賀新年 本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 元旦は、師匠宅に年頭のご挨拶に伺いました。その後は、浅草に・・凄い人出でした。もう、大変な混みかたです。それでも、新年という盛り上がりに今一つ・・と感じるのは何故かな?

 今日は本牧亭定席初席の出番でしたが、年頭から復習わないで出てしまった。が、今年はこのまま悪習を引きずらないぞ〜と、明日は年の初めの仕切り直しを・・うふっ、いいところへ行って参ります。

2006年12月30日 (土)  
 一昨日は講談協会の行事で薬研堀に参りました。ここでは毎年、講談発祥の地にちなんで「張扇供養」が行われるのです。私が入門した頃に比べたら人出が少なく、時の流れを感じずにはいられません。

 昨年は住吉踊りで、「女流木遣り」の「大江戸小粋組」に入っておりましたので年末ギリギリまで忙しく、初めて張扇供養は欠席いたしましたが、今年はこの行事が仕事納めと・・いいえ、厳密に言いますと、今日の師匠宅大掃除が仕事納めという事になるでしょう。師匠宅の納めの大掃除は私にとって大事な行事の一つです。

 今年一年は、色々な方のお力添えをいただきまして幾つかのチャンスに恵まれましたが、十分ご期待に応えることが出来ずに悔やまれました。しかし一年間、何とか健康で講談に関わって過せましたことに感謝致しまして、来年こそは良い年にしたいと思います。
 
 皆様もどうぞ良い年をお迎えくださいますように!

2006年12月26日 (火)  
 昨日新潟から戻りました。あ〜、美味しい料理と、お客様からの励ましをいただき締めの梅桜寄席は楽しく勉強させていただきました。
 
 梅桜寄席のお客様はいい方ばっかりです。どんなに疲れてても、お客様方に「今日の講談良かったよ〜」と言っていただくのが私にとって一番の薬です。今回の演題「あぶだ春朔」は、まだ出来立てホヤホヤ、これから磨きをかけて参ります。

 「南極〜」「ホタル帰る」のような大きな社会性を持った作品とは違うのですが、こういった大作をやってきたからこそ、「あぶだ春作」は覚えたらスーッと話の中に入っていけるようです。それにこの作品は、どんな方にもわかっていただける内容ですので、幅広く口演させていただけるネタになると実感しました。

 あまりにも有名な「華岡清州」の話は古典講談でありますので、何人もがやっておりますが、私の「あぶだ春朔」は、福岡県甘木市秋月の実話ですが、種痘を初めて日本で行い多くの子供達の命を救った医師の話です。イギリスの外科医ジェンナーより早く、日本の医者が種痘法をやっていたとは知らなかったという方が多くおられました。「梅星の新作講談は為になるよ!」なんて褒められてしまって恐縮です。

 やっとこれで原作者の有高扶桑先生に良いご報告が出来そうです。

 慌ただしくなってきた師走の中旬に勉強会「すっぱいは成功の会」をやり、恒例の新潟梅桜亭から戻ると、もう本年も6日間と残り少なくなってしまいました。実は我が家のパソコン・プリンターが先月末に壊れてしまいました。何でも便利になりすぎた世の中、携帯やパソコンに慣れてしまうと、無いととても不便です。あ〜、こうなると機械に支配されて人間が動いているようでどうもしっくり致しません。機械等に頼らずに手書きにしたり、自分で出来るようにしなくてはならないと思いつつ・・「梅星通信 第12号」の発送は、どうやら年が明けてからになりそうです。今日は不在中の宅急便がドーッと。この時期は宅急便の方も大変ですね、ご苦労さまです。

2006年12月14日 (木)  
 師走という慌ただしさの中で私の勉強会が終了しました。いつも来られるお客様、ご都合が悪く行かれないとご丁寧に連絡して下さいました方が随分おられました。やはり季節がら、風邪を引かれた方が非常に多く、こんな時期に勉強会だなんて迷惑をお掛けしたと色々と反省を致しました。

 ゲストに念願の柳家紫文師匠にご出演いただけて本当に嬉しかったです。個人的には住吉で存じ上げておりましたが、来ていただいたお客様にも大変喜んでいただけました。私もモニターを聞きながら思わず引き込まれてしまいました。でも、次に爆弾を抱えてるような心境で高座に上がるので、じっくりとは聴けません。次のチヤンスに・・。

 「あぶだ春朔」はとてもいい話ですので、やっと覚えたような感じのネタ下しになってしまったのがとても残念です。この新作は話が良いだけに、よく頑張ったって感じで情けなかったけれど、後は私が面白く語れるように研究してこれから高座百遍です。勉強会が終わったら「梅星通信」の作成と、お手紙を頂いておりました方へのお礼状等を書きます。それで「梅星通信」年内に送れるかな? 勉強会の案内も送れなかった人もおりました。その割には、暮れも押し迫ってからよくぞ来て下さいました。本当に感謝で一杯です。しかし、年も押し迫ってからの勉強会はもう懲り懲りです。

 実は10月にお世話になった松江の観光文化プロデユーサで、「松江観光事典」という本を作られた高橋一清さんのことが「オール讀物」12月号に出ております。446ページに高山文彦の「エクトラ 中上健次伝」、やはり文藝春秋にいらした時から敏腕の編集長さんだった事がよくわかります。

 「南極第一次観測隊物語」の事では、この方が居なかったら船の科学館にも結びつくことは無かったですし、私が「松江ルネッサンス2006」に出させていただき北村先生にも会うことも、南極観測50周年記念のイベントに出させていただく事もなかった、更には船の科学館でも辻講釈という夢にも出会わなかった。羽野誠司さん作曲「宗谷の歌」も生まれなかった。元をただせば、高橋さんが作ってくれた縁がこうして広がって、多くの縁が出来た訳ですね。本当にありがとうございます! 私の年内のお勧め「オール讀物 時代小説で江戸に学ぶ」講釈師にも勉強になりました!

2006年12月18日 (月)  
 昨日は「船の科学館」での辻講釈でした。この日は雨になるかもしれないと思ったのですが、辻講釈の開始時間が、館のイベントとの兼ねあわせで午後2時から。そして辻講釈が近づきましたら、何と青空に・・・これも宗谷の運のおかげでしょうか? 宗谷の朱色が映え渡っていい日和となりました。
 
 今回が2回目ですので、まだ世間には知られておりませんが、これから船の科学館に足を運んでいただけるように更なる工夫をしたいと思います。

 演題は時節がら、義士銘々伝より「大高源五 両国橋の出会い」と「南極第一次観測隊物語」の一部を・・。この日は義士伝と決めていたので「南極〜」は予定しておりませんでしたが、実は朝日新聞社会部の美人記者、中山由美さん(女性記者では初の越冬隊員・南極観測50周年記念イベントで講演も)が、船の科学館の辻講釈を取材してくださいました。それで、講談「南極第一次観測隊物語」も、と・・。実際は記事にしていただけるかどうかはわかりませんが。

 取材で質問を受けた帰り道、改めてよーく自分に自問自答をしてみました。ちょうど先日の勉強会で、4日ほどの稽古で45分の新作を、夢中で覚えてピリピリハラハラドキドキしながら高座にかけた後でしたので、話を覚えることで手一杯という疲労感がまだ残っていて「何が大変か?」と聞かれたら自分のお尻に火が付かないと覚えないことを棚において「覚えるのが大変」と言ってしまう・・そんなら辞めろ!と即言われそうだ。

 講釈に入り込んでいる時は楽しく、お客様と一体感があり、いい拍手が貰えます。講談をやっている時が一番幸せで充実していると感じるひとときです。新ネタをいただいた時の喜びと、ギリギリで睡魔と戦いながら覚えなければならなくなった状況の苦しみ、覚える時の苦しさは新作に多いのは、古典と違ってどれも自分で形にしていかなければならない作業と、社会的な内容で大作だからでしょう。それを楽しんでやれるようにならなければ本物にはなれないのですが。

 それもある程度形になると、こんなにいいお話があるので、沢山の人に聞いていただきたいという気持ちになります。何とか上手く出来たからといって、翌日も同じように出来るというものではなく、まだかなりのバラつきがありますので、一高座一高座に神経を尖らせていないとなりませんし、この緊張感の中にこそ読む(講釈は読みという)側の喜びがあるのでしょう。あ〜、恥をかきながら色々と自分を知るキッカケにも修業にもなるんですね。できればその前に気がつきたいものです・・グスン!

2006年12月4日 (月)  
 北海道から帰ってきました。行きの28日は、前夜の京王線の事故で電車が停止していたことを知らずに始発の電車に乗り込もうとしたのですが、動かないと聞いて慌てました。仕方がないので狛江から小田急線を利用して、何とか無事に千歳空港まで到着できました。ここからの道のりが長いのですが、幸い天候にも恵まれてバスは定時刻に到着、暖かい日でした。

 昨日の帰りは吹雪となって路面が滑りやすく、ゆっくり徐行運転の為に一時間以上もバスが遅れました。凍結道路で交通事故が相次いでおりもう大変です。私が帰省している時にも、近所に住む20代の女性の車にスリップした対向車がぶつかってきて、身体を強く打って内蔵出血して病院に担ぎ込まれたそうです。その後どうしたでしょう?快方に向うといいのですが・・・。

 父の一周忌が一昨日の午前中でしたので、終了と同時にバスに飛び乗って帰ってきました。因みに昼の12時半のバスに乗って東京の自宅に着いたのは夜10時半頃ですから、やっぱり遠い・・・。
 
 昨日は「もへい寄席」でしたので、ちょっと疲れたかな・・・。

2006年11月27日 (月)  
 昨日、新潟から戻ってきました。日中はお天気が良いのですが朝夕は寒い、寄席が跳ねた後で鯉のお刺し身や鯉こく等、相変わらずのご馳走が並びます。翌朝はキッチンに、この夕べの残りの鯉の粗の味噌汁が煮こごりになっていたり、刻みネギがシャキシャキと凍っていたりと、夜の寒さの程がわかります。

 明日から、父の一周期を一月早めて行うために北海道に帰ります。地元では、講談一席の会も開いてくれるようです。

 東京で過ごす11月は今日1日しかありません。市役所に行ったり、色々と月末にやらねばならないことが出来てきましたので、私だけ新潟からひと足早く帰らせてもらった訳です。今年は色々と忙しくさせていただきましたので、勉強会は12月12日に予定しております。その間に新潟と北海道へと、また慌ただしい状態になりますが、新作「あぶだ春朔」だけは、いい結果にして良い年を迎えられるように頑張ります。

 明日は早朝の飛行機に乗りますので4時に起床! でも、今回梅桜亭にゲストでいらした円遊師匠より遥かにゆっくりした起床時間です。何しろ円遊師匠は午後6時頃には、就寝の体勢のようですから・・。

2006年11月23日 (木)  
 気がつくと、クリスマスのイルミネーションが目に鮮やか・・。あ〜、目標にして努力してきた事が思わぬ結果になり、急にこれまでの疲れがドーッと出て来ました。

 母は、こんな事を言ってくれました。
「失敗は、何かを知らせてくれてるんだから、無駄ではないんだよ」と。そうか、色々と思い当たる事があります。この反省を自分の戒めとします。
 
 すっかり気が萎えてしまってますが、来月は勉強会がありますので、気持ちを振るい起して「あぶだ春朔」頑張ります!
 
 明日は新潟に参ります。先月お休みさせていただいたので、今月は一生懸命勤めさせていただきます。

2006年11月20日 (月)  
 昨日は南極観測50周年セミナーの日でした。「南極第一次観測隊物語」は、羽野さんにいい曲をつけていただいたのに、もう、犬ぞりの訓練中のように話が勝手な方向に行ってしまったり、氷に囲まれ難航した「宗谷」のようでもあり、何度も暴風圏に入ったような有り様で落ち込み度60度を上回るという大混乱。今年しかない大事なイベントでしたのに、最大級のトホホ高座になってしまいました・・グスン!

 会場満員のお客様、そして船の科学館の関係者の皆様、大変申し訳ありませんでした。もう武士なら即切腹・・。セミナーは、その後の三田さんの熱気あふれる講演や、羽野さんの「宗谷の歌」(井上さん作詞、山岡さん歌唱)の曲の素晴らしさで救われましたからまだ良かったものの・・。

 あ〜大事な高座前に何もわざわざ、覚え直さないと出来ないネタ出しをしなくても・・。昨日は語りを勉強していた頃の大先輩がいらしてくださり、「貴女、本当に惜しかったわね〜」と残念そうに何度もおっしゃっておりました。その方は羽野さんの事も知っていて、歌曲を大変褒めておりました。「終り良ければ全て良し」と・・しかしチャンスの神様は後ろ髪に毛がない・・思い出しただけでも背筋がゾーッとして恐ろしくなります。三田さんではありませんが、失敗したらどこが悪かったか追及して、次回には万全の体制を整えたから第三次越冬隊の成功があったと・・大変心に染みるお話でした。

2006年11月15日 (水)  
 今日は師匠宅にネタを教えていただきに参りました。古典の、良い話です。勉強会のもう一席に掛けられたらいいと思います。
 そんな訳で、久しぶりに三ノ輪の商店街を通りました。昨日、TV朝日ちい散歩 下町人情三ノ輪商店街をやっておりましたっけ・・。いいところですよね。

 そう言えば、夜席で新作のネタ出しをしておりまして、「かめしゃん心中」と「ホタル帰る」。このネタを定席で掛けるのは初めての事です。その後の19日の南極観測50周年セミナーの講談は一世一代のイベントですので、これまで以上一番の出来にしなければなりません。

 12月12日の勉強会のネタも平行してやってますが、集中して稽古が出来るのはその後です。「あぶだ春朔」原作者の有高先生からも「平常心で頑張ってください」とお葉書を頂戴いたしました。勉強会には、今かかっているレザー専門クリニックを紹介してくださった皮膚科の先生も来てくださるとの事で頑張らないと・・。

 夜はやはり寒くなりました。風邪には十分お気をつけくださいませ。

2006年11月11日 (土)  
 宝井って、室井と間違われる事がよくあるのです。梅星は梅里・・と。

 ついこの間も、南極観測50周年で、宗谷の最後の役目は北海道の巡視船でしたから、北海道新聞で大きく取り上げられておりました。「宗谷の歌」を作詞した船の科学館関係者の方の記事もありました。作曲を依頼されている羽野誠司さんの事も。しかし、『19日の南極観測50周年には、羽野さんが作った講談「南極第一次観測隊物語」を講談師の「室井」梅星さんが上演』・・・ガクっと、力が抜けたかな。

 私の実家は北海道ですから、母が見つけて直ぐに記事をコピーして送ってくれましたが、「室井」を見て母もコケたようです。

 しかし、曲は出来ているものの歌い手の稽古はこれからだそうで、あと1週間足らず。やはり「宗谷」は最後まで困難がつきもののようです。でも運命を切り開く奇跡の船ですから、当日の19日はどんな歌が聴けるのか期待しています。あ〜、人の心配するより梅星の講談の方しっかりやれよ!って感じですので、「宗谷」に見守られて満足の行く高座にしたいと思います。

 何しろ一番の目的は、だんだん忘れられていく不可能を可能にした「南極第一次観測隊」と「宗谷」の事を多くの方に知っていただくこと。これが肝心ですね。

2006年11月9日 (木)  
 昨日は、50年前の昭和31年11月8日に、はるばる南極に向けて日本初の南極観測隊を乗せた観測船「宗谷」が出港した日。その「宗谷」出港を再現するという記念すべき日でした。この話を講談で演じているものとしては、これを見過ごすわけにはまいりません。何はさておいても見なければと、お台場の船の科学館へと向かいました。式典の解説をされる、第一次南極観測隊で宗谷の舵をとられた三田安則さんの、出港時再現の歓極まった声を聞き、ぐっと胸に込み上げてくるものがあり、私も思わず涙ぐみました。
 
 南極観測50周年の19日のセミナーには、講談「南極第一次観測隊物語」を口演させていただきます。船の科学館3度目の羊蹄丸アドミラルホールでの口演で、初めて羽野誠司先生にシンセサイザーの音楽を入れていただくことになりました。羽野さんはこの度、関係者の依頼で「宗谷の歌」の作曲をしてまして、その日は歌の発表会も兼ねております。
 講談の後は、第一次南極観測隊「宗谷」の乗組員で舵をとった三田さんの講演。力強く説得力あるお話は聞き応えがありますよ。バラエティ豊かなセミナーになり盛り上がることでしょう。

 毎月8日は、師匠のお供で川越蓮馨寺境内にて辻講釈があるのですが、この日の「宗谷」南極への出港再現は次がありませんので、お願いして行かせていただきました。こちらは10時半〜11時半で終了したので、関係者の方にご挨拶して、すぐに川越まで。師匠の辻講釈終了には間に合いましたので、後片づけして帰って参りました。
 
 昭和31年11月8日、南極への「宗谷」出港時は雨でしたが、50年後の11月8日は晴天で汗ばむ程でした。この日は、「宗谷」も久しぶりに沢山の元隊員関係者の方を乗せて、嬉しかったのでは・・・。

2006年11月6日 (月)  
 2日間寄席が続いておりました。昨日の愛宕山講談会のネタ出しは「信玄鉄砲」。間際になって夜なべして覚えたネタは、結局必死になって喋るのが精一杯で余裕がありませんでした・・。この2年間くらいの間に聞きに来られるようになったお客様には、私が古典をやらない人に思われておりますが、3年前までは古典ばかりだったんですがね〜。

 私のは、新作オリジナルといっても一時間以上の話ばかりですので、一席が二席、いや三席分ほどの大作になります。それに、師匠も言っておられましたが、新作オリジナルは古典のように形がないので、本当に難しく手の内に入るのに年月が掛かるようです。あと1〜2年もすれば、今までのオリジナル講談もこなれてくるように思います。でも、急がないとならないテーマが多いですし、私自身もノンビリしていられません。古典も平行してやっているつもりですが、どうしても新作に時間を掛けるようになってしまいます。
 
 そのオリジナル講談、「南極第一次観測隊物語」の最後に出てくる第3次越冬隊にも参加した北村先生、タロジロを発見したその時の越冬隊長、村山雅美さんが昨日お亡くなりになりました。

 この方は、日本人で初めて南極点に到達し、昭和37年の第6次でいったん打ち切られた南極観測を、再開に向けて尽力された方・・南極関係の方は凄い方ばかりなのだと改めて思い知らされました。心から、ご冥福をお祈り申し上げます。

 昭和の歴史の生き証人がご健在な内にと思い、語り始めたオリジナル講談「ホタル帰る」や「南極第一次観測隊物語」、もっと多くの方に聞いていただき、この話を埋もれさせない為にも、精一杯努力しなければならないような気がします。

2006年11月1日 (水)  
 やっと夏物を整理して冬支度、これで部屋をすっきりさせる事が出来ました。

 来年になるけど「南極第一次観測隊物語」を口演して欲しいと頼まれました。予定は、青森と北海道からです。舞台背景としてはうってつけかと思いましたので、 それなら「南極をテーマ」に盛り沢山な構成でと企画を提案しましたら、検討してくださるとの事です。

 そこで、これまでの情報資料を大急ぎで用意して、多分テープも必要。これは普通の人には簡単なんでしょうけど、機会音痴な私にとっては時間がかかった割には、殆ど上手く収録出来てないけれど、自己判断で取りあえずこれで送ってみようと思います。

 しかし、疲れた・・こういう作業って難しい・・様々な機材を扱う仕事を生業にしている人につくづく感心しました。自分でやってみないとその大変さは分からないんですね。
 
 北海道には、父の一周期で今月末に参ります。父の命日は1月2日なのですが、お正月には行かれそうもないので、一月早めて12月2日に決めたそうです。その時に「南極〜」の公演の話を煮詰めてこようと思います。

 時が経つのは、本当に早い、ボヤボヤしてたらあっという間に時代が変ってしまいます。私もそうですが、第一次観測隊関係者の方やこの講談をネタにするのに尽力してくださった方がお元気なうちに、沢山の方に聴いていただけるようにしたいものです。それに、この話にはとても不思議な力があります。それは、不可能を可能にする奇跡が・・高座百遍といいますから、もっともっと南極・オーラをいただけるように頑張りたいと思います。

2006年10月30日 (月)  
 松江から戻って参りました。初日は、宍道湖に沈む夕日を眺めながら湖岸に添った遊歩道を歩き、とても気持ちが良かったです。
 
 「松江ルネッサンス2006」初日の午後3時から「南極第一次観測隊物語」を口演。終了後、第一次越冬隊犬ぞり係で、今ではオーロラの世界的権威の北村泰一九州大学名誉教授の講演でした。パソコンと連動したスライドを使い、とても面白い講演でした。

 私の高座は、いつもは間違えないはずのところで何度もトチリ、一緒の羽野さんを冷や冷やさせたと思います。そしてちょっと焦りと力み過ぎでした、北朝鮮のアナウンサーじゃないんだから・・と反省。

 総ての演目が終演後は、このイベントの責任者高橋氏を囲んで出演者全員〜評論家で作家の下重暁子先生と歌人の小島ゆかり先生、俳人の黒田杏子先生と北村先生に羽野さんと私の7人で、地元の人でなければわからない通好みの小料理屋で、宍道湖七珍と言われるモロゲエビやカレイの唐揚げ、お刺し身、そして極め付けはやっぱり宍道湖のシジミ汁です。もう、有名な文化人の皆さんの楽しいお話を伺い、美味しい料理とご飯をいただき・・・こんな機会を設定してくださった高橋さんの力に改めて感心させられました。何しろこの方のご尽力で「南極〜」を講談として持ちネタに出来たわけですし、今回もこうして北村先生と引きあわせてくださいました。感謝の念で一杯です。

 もう一泊して観光をしたのですが・・それもホテルを出た午前10時から〜出雲飛行場に行く夕方までタクシー貸し切りで・・こんな厚遇していただいたのは初めてです。そのお陰で、松江や出雲の歴史に心ゆくまで触れる事が出来ました。

 松江は奇麗で、また上品な素敵な街でした。本当に何度も来たいところです。ところで、これから松江に行かれる方には一番良い観光辞典がありますよ。それは、2日前に出来たばかりの「松江観光辞典」。持ちやすい縦長で紺の表紙。社会法人松江観光協会が出版元ですが、実は、今回大変お世話になりました、松江観光文化プロデューサーの高橋一清氏が作ったものです。本屋さんで見かけたら買って下さいね!きっと、松江に行きたくなりますよ。

2006年10月26日 (木)  
 とうとう松江に行く日がやって参りました。講談と同じで、時が経つのはビックリする程早いので焦ります。昨日と今日とで、カットした部分はあったものの前編と後編に分けて「南極〜」一席通しました。
 
 あちらでは、50分の枠ですので、前編は半分位となりますが、丁度いい時間ですね。
 
 前座から二ッ目になった時は、皆偉くなった気になるのですが、身分は上がっても、二ッ目は前座よりあまり役に立たない存在のようです。久しぶりに定席があり機嫌の良い時などは、迷惑かな・・と思いながらもつい楽屋をウロウロしたり、喋りかけては前座の邪魔をしているかもしれません。
 なにせ、私は兄弟弟子がいないので情報が入らないのです。こういう時にせっせと話し掛けるので、「やかましわい!」と言いたいのをグッとこらえているのかも。
 しかし、久しぶりに会う前座と、前座から二ッ目になりたての後輩を観察してると結構面白い・・いゃ、お互いにそうなのかもしれない、こっちも見られてるんでしょう。
 
 私が松江に行っている間は、ちょうど梅桜亭があります。「お前しか出来ないネタだから」と師匠も快くお許しをいただいておりますので、入門当時の純粋な心意気に戻って、松江で力一杯頑張って参りたいと思います。

2006年10月24日 (火)  
 お昼のTV人気健康番組によると、アルツハイマー病の予防法として、糖質の中で一番体内のレプチンを増やすのは麺類やパンよりもご飯だそうです。そこで昨日は、お客様のお誘いをいただきまして駒形どぜうの「新米とどじょうを食べる会」に行って参りました。
 お米は宮城の「ひとめぼれ」でした。どじょう鍋ですし、廻りにお酒を飲まれる方がおりましたので、軽くお酒とビールをいただくのですが、根が酒飲みではないものでこだわりがない。お酒もご飯も同時進行していただきました。宴席等で見ていて、お酒もいってバリバリ食べる奴はお行儀も悪いし、さぞ腹も立つと思います。
 
 師匠方やお客様からご馳走になる時は、やはり残しては失礼になると思うので、出来るだけ残さないようにと心掛けるのですが、その時のフンイキで無理をしなくて済む時もあります・・でも、ここのところの健啖が続く中、胃袋が大きくなったか、ご飯のおかわりまでして・・うーん、気をつけないと。これじゃ、アルツハイマー予防よりも、先に胃腸か肥満で身体を悪くしてしまうかもしれません。
 
 ふと、北海道の出前講談で廻った時のことを思い出しました。興行先では、一年に一度のことですから、師匠や噺家の師匠を囲んでの宴会を楽しみにしております。でも、こっちは毎日宴会ですから大変。もーう皆で大田胃散を飲んではご馳走になる繰り返し。体がパンパンになるまで食べては、車で移動か宿で眠るかどちらかですから、運動不足と寝不足に疲れで体調はあまり良くなかったですが、いま思い出すと笑ってばかりの旅で、あの時は本当に師匠やゲストの師匠にお世話になりました。

 今日は水と果物や温野菜ぐらいにして、胃腸を休ませてやりたいと思います。

2006年10月23日 (月)  
 一昨日は「寿司政寄席」でした。終演後にお寿司をいただくのですが、お客様が半分も私のお皿に入れてくださり、結局ビールをいただきながら一人前半も食べました。あと、協会でお世話になっております両国さんに顔を出しました。たまには微力ながら売り上げ協力を・・なんて生意気に、鰻の肝や焼き物に珍しくお酒に、挙句の果てに鰻を持ち帰りにして・・でも、逆に気を遣わせてしまったかもしれません・・。さすが墨田区銘品推薦品、とっても美味しかったです! けれどこの日は、お酒やビールも頂きましたので、お腹が突き出てるぅぅー。場所が両国だけに「ごっあんです」

 昨日は浅草の「もへい寄席」。前講終了後、まず講談定食をいただきます。寄席が跳ねてからはビールから始まり、お酒を冷からお燗まで一通り(いつもはお茶を飲んでいるのに・・珍しい)いただきながら、美味しい料理を・・、この日も帯がパーンパーンになるまで。更に帰りに、栗あんみつをご馳走になり、もーうくりぐりです。

 そして、今晩は浅草にどじょう鍋をご馳走になりに参ります。

 この分じゃ、「松江ルネサンス2006」で、T氏や北村先生にお会いする今週の土曜日には更にコロコロして、発見された時のタロジロのようでしょう。

 味覚の秋です、美味しいものをよーく味わいながらいただきましょう。

2006年10月20日 (金)  
 新潟の魚沼産コシヒカリの新米を沢山いただきました。新米は美味しい!もうオカズがなくてもご飯だけで食べてしまいます。やっぱり日本人はお米を食べると「よーし頑張ろう!」って気力も体力も出て来ます。お米を作る方、お米をくださる方に感謝!
 
 講談は一人の芸ですから、芝居のように複数の仲間で演じる芸ではありませんし、それに、私はあまり群れる方ではありませんが、でも、困っている時にはお役に立ちたいと思います。
 私も、父の葬儀がお正月初席でしたので、急遽初席高座の代演をお願いしたり、看病の時も代演をお頼みしたことがあります。あの時は有難かったです。

 丁度、去年の今頃、父が入院したのでした・・それから二日後にMRSA感染してからは感染症との闘いでした。・・もう、あれから一年経つのですね〜。

 入門してから毎年、元旦には師匠宅に年頭のご挨拶に欠かさず参ります。それを知ってか?2日の午前0時3分に息を引き取りました。殆ど一日ですが・・元旦に師匠宅にご挨拶に伺えたのは、父が頑張ってくれたからです。
 師匠の北海道出前講談にお供して廻っていた時も「俺の目の黒い内はまかせとけ」と言ってくれて、実家の公民館で毎年出前講談会を開催してくれた父でした。親の無償愛に感謝で一杯です。

 つい忙しさに紛れて忘れがちになりますが、感謝の心を忘れずに頑張りたいと思います。

2006年10月15日 (日)  
 今日は、お台場の船の科学館で、初めての辻講釈をさせていただきました。

 心地良いお天気に恵まれた一日でした。館内の観覧等で忙しいお客様を講釈で繋ぎ停めるのは、今の私の芸では至難の技ですが、担当して下さる方をはじめ暖かく見守ってくださる方々の中での辻講釈、修業中の私が上達するように育てて下さっているというご好意が感じられ胸が熱くなります。そのご好意に報いるように、月一度のこのチャンス、力一杯努力したいと思います。

 それに、傍らの宗谷と共に「南極第一次観測物語」を語っているような一体感があり、もう感無量です。宗谷の保存を訴えながらも、逆に宗谷からパワーをいただいているような気がしました。

 この「船の科学館での辻講釈」、今、一番楽しみでやり甲斐が感じられる活動です。

2006年10月13日 (金)         辻講釈、始めます
 昨日は、毎年11月にお世話になっているお台場の「船の科学館」に行って参りました。

 実は、こちらで月に一度、辻講釈をやらせていただけることになりました。もちろんネタは「南極第一次観測隊物語」。この日は、館長さんや常務理事さんから課長さんまでお目通りさせていただきました。決定してから伺いましたし、これまで3度演じさせていただいているという実績があるので良かったのですが、これが初面接でしたら、もう一番乗りで採用見送りという粗忽振りでした。相変わらずの私で情け無なさ過ぎますが、講談の方で成果を上げたいと思います。

 前編は「宗谷」後編は「タロジロ」の物語になっておりますが、11月19日の南極50周年イベントでは、宗谷を見ながら羊蹄丸内アドミラルホールで「南極第一次観測隊物語」。更にこれからは毎月の辻講釈も・・願ってた事がトントン拍子で運んで驚いてます。これも奇跡の船「宗谷」の運のお陰でしょう。宗谷の保存と、このネタを練り上げる絶好のチャンスですから頑張ります。
 
 しかし、辻講釈を一人でやるのは初めてです。いつも師匠という大きな存在に守られての辻講釈でしたが、今度は一人で・・南極に初めての旅に出掛ける犬ぞりの心境です。しかし、不安もありますが夢も一杯です。早速、初回は今月15日(日)午後から始める事になりました。頑張れ〜、宗谷! 頑張れ〜、梅星!

2006年10月8日 (日)  
 昨日は、あしがり郷の講談会でした。この日の私の演題は「南極第一次観測隊物語」です。

 このH.P.の「お知らせ」にもアップしておりますが、今月末に国際文化観光都市島根県松江市の「松江ルネサンス2006」カラコロ文化フェスタで「講談 南極第一次観測隊物語」を口演させていただきます。
 
 実は、こちらの担当の方は、元文藝春秋の編集長さんで、この「南極〜」のオリジナル講談を上演するにあたって、本を書いてくれた羽野さんと、原作者の北村先生の間に立って、大変尽力をしてくださった方です。この方と羽野さんの頑張りがなかったら、講談「南極第一次観測隊物語」の実現はなかったのです。その方が現在松江の観光プロデューサーをされておりまして、半年くらい前に私と羽野さんに声をかけて下さったわけです。
 
 ここでは、原作者でタロ・ジロ育ての親でもある北村泰一先生の「オーロラのこと、南極のタロジロのこと」の講演もあります。ご恩あるお方からの出演依頼、新潟梅桜亭の予定と重なっていましたが、師匠にご相談しましたら、「お前しか出来ないネタなんだから行ってこい!」と快く許可してくださいました。本当にありがたかったです。

 それも、もう今月末が本番。出来るだけ高座に掛けたいと思い、瀬戸屋敷でも「南極第一次観測隊物語」を掛けさせていただいたのです。

 あしがり郷 瀬戸屋敷の縁側では、お月見でお団子にススキが供えておりました。快晴で満月・・素敵な条件が揃う中での最高の講談会でした。

2006年10月4日 (水)  
 何だか、無駄な動きをして草臥れてしまいます。
 
 昨日は「かぶら矢会」でした。私は久しぶりに受付の方を担当させていただきました。しかし、もぎらなくていいのに半券もぎったり、残す方をお客様に渡そうとしたり、そそっかしいのを飛び越してます。

 そう言えば入門する前に、何故か?「かぶら矢会」の受付を手伝っていたのでした・・。その時は講談やろう等とは少しも考えておりませんでした。それが、今講釈師になって「かぶら矢会」の前講を交互で上がらせていただいております。昨日は受付をやりながら、つくづく縁があったんだなぁ〜と。あの頃もお客様が入っておりましたが、今では毎回、250人以上のお客様で大盛況の会です。こうして関わらせていただいております事を改めて有難く思いました。
 
 今日は、新扇組100回記念興行3日間の中日に出演させていただきました。ところが、家を出てから舞台でお客様に配る手拭いを忘れたことを思いだして、あわてて取りに戻り風呂敷に入れたのですが、その時にその中に入れた別の物を取ろうとして再び風呂敷を開けた時に、上にあった手拭いを一端取り出したまま、それを入れずに風呂敷を結んでしまって出掛けたのでした。

 帰ってみるとちゃんとテーブルの上に置いてあります。あーあ、これじゃわざわざ家に取りに戻っても、
なんにもならない・・・無駄どころかマイナスというもの。

 楽屋に着いて、持ってきてない事がわかった時には、もうグッタリしてしまいました。日頃から慌てる癖があるんですね〜。「落ち着けば一人前」っていうけど、私の場合はそれだけかな・・はぁー、先々思いやられます。

2006年10月1日 (日)  
 すっかり秋も深まったかと思いましたが、まだ暑かったりして変な天気です。昨日は師匠のお供で、茅ケ崎の小山亭での講談会にまいりました。着物を着ると汗が・・お酒をいただくと汗が・・やっぱり太り過ぎかと思われます。

 唯一の運動が踊りだったのですが・・・。私は昨年の今ごろは「住吉踊り」をいつまでも続けるつもりでおりました。お稽古にもよく出ておりましたし、きっと一年後の今頃は、さぞ踊りも上手くなっている事だろうと、かっぽれを踊る約束をしていたのです。前日思い出して慌てて「奴さん」を復習ったのですが・・小山亭は先生はじめ、周りの方で三味線や日本舞踊をやっている芸達者な人ばかり。おまけに今年になって一度も踊ってないという有り様なのに、全く、よく図々しく踊れたものです。これからは練習して、積極的に余興や講談の後に踊るようにしたいと思います。これに気がついただけでも良かったじゃないか、と思うことにしました。

 宴席のテーブルで先生(お裁縫)やお弟子さんの手料理、大先生の煮物や漬物がとっても美味しい!もっと驚いた事はこちらの大先生は何と御年87才の淑女!人形を作ってらして、干支の人形等を現役で作っている先生なのです。その方がお酒を飲まれているせいか?心の在り方がいいのでしょう、お顔にシワが無くお肌がきれいでふっくらしていて、兎に角若い!「今が一番幸せ」とおっしゃってました。あ〜、私もあやかりたいです。

 野菜サラダに入っていたレタスの芯をうっかりいただき、しまったーと思いましたのは、知ってました?レタスの芯は安眠作用抜群なんですよ。レタスとお酒の組み合わせ、しかも前日の寝不足も手伝って心地よい怠さと眠気でウトウト、居心地のよい小山邸で寝ちゃったらどうしょうと緊張してしまう程でした。帰りの電車では、品川まで一眠りしたのでアッと言う間に家に到着しました。なーんだ茅ケ崎って結構近いんだー。それにしても、先生の躾けが行き届いているのでしょう。お弟子さんも感じが良くて出来ていること、私も見習わなくては。

 この日の師匠は宴席を途中にして、マラソンの優待で隠岐の島へ参りました。師匠は相変わらずパワフルです。

 秋の味覚、この時期の好物は葡萄です。ぶどうは特に巨砲。毎日葡萄を食べるものですから、食べる時に使う右手の指の爪のなかに黒い汁が入り、しかも深爪したところに奥まで染み込んで洗って落とそうとしても痛くてとれません。弱ったものです、うーん・・。

2006年9月30日 (土)  
 昨日は上野広小路亭で「女流花便り寄席」でした。明日の準備が色々あるので、急いで帰宅しました。

 この頃は、高座着物を持って出掛けるように心掛けています。ですから、着物を着て出ても別に高座着を持って行くのですが、着物だと汗をかきやすいので、下着や襦袢も一枚多く持って行って替えるようにしております。

 昨年風邪をよく引いたのは、汗で湿ったままの下着をつけていた事もあったと思います。風邪でも何でも悪い事が長引くのは禁物ですね。今年は風邪を引かないように、日頃から気をつけたいものです。
 
 チョット、今日の講談の後に踊りを踊るかもしれません。昨年、約束したような・・もう随分踊ってないので大丈夫かな?忘れていてくれたらいいけど、一応、恐る恐る復習ってみよう・・。

2006年9月27日 (水)  
 新潟梅桜亭から戻って参りました。

 今月は、両師匠が経営する梅桜寄席「10周年記念」があり、準備の為に早めに出掛けましたので5日間の長い滞在になりました。

 初日の寄席終演後に両師匠を囲んで、地元の後援会の方がお祝いの、緑川の四斗酒樽で鏡開きをして宴会が行われました。何と60センチ位の鯛が登場!これは新潟から駆け付けて来て下さるグループのお客さまが材料持ち込みで、しかもプロの料理家がいらして作ってくださいました。その美味しさは格別で、縁起物の鯛の刺し身の上にウニ、鮭が、柔らかく煮込んだ昆布に包まれた昆布巻き、バイ貝、ホッペが落ちそうな程に美味しい料理でテーブル狭しと豪華に埋め尽くされました。琴梅師匠、琴桜師匠も10年の重みをひしひしと感じておられた事と思います。おめでとうございまーす!

 梅桜亭では、師匠が「お前は明日起床早いんだから寝ろ!」と言ってくださいますが、いつも師匠がお休みになられましてから、後片づけをして翌日の準備をして一日が終了。私が寝床に入るにはもう午前1時半過ぎになります。それでも翌日になってから、やらなければならない事が出来るので、その日の内に終らせておいた方がいいのです。

 最後の夜も、あ〜こりゃかなり遅くなると思いましたので、私は早く休ませていただきました。寝不足で疲労してくると、誰でも身心共に不機嫌になりますし、顔の表情も険しくなりますし、それに第一いい働きは出来ません。それで、その日は早く就眠させていただきましたが、思った通り、隣の部屋で午前3時頃までワイワイ騒いでいたらしいです。私は新潟に来る前からの寝不足が祟っていたこともあり、爆睡しておりましたので、幸いこの大騒ぎも殆ど気にならなりませんでした。

 しかし・・翌朝は宴会の残骸が、食器にコップにおかずの食べ残しがビッシリ・・それを片づけてから帰り仕度を、と思いましたら、いつもは師匠と二人なのでその辺の有り合わせのものを食べて帰るのですが、最後までお泊まりの方が大勢おりましたので、お昼には師匠がお蕎麦を打って天ぷら蕎麦で食べました。それから食器を洗って帰り仕度をしたので、間際になって居合わせた方々に手伝っていただき、なんとか予定していた新幹線で帰る事が出来ました。

 「百回記念」という事もあり、それに毎日の宴会と寝不足では、さすがの師匠も帰り際「あ〜、疲れたな・・」とボソっと・・。師匠、本当にご苦労さまでございました。私も入門して8年と10ヶ月になりました。ここでは他では出来ない色んな体験や修行をさせていただきました。

2006年9月21日 (木)  
 この間テレビに、「梅星」っていう若い女の子2人組みの歌手が出てたそうです。先に名前の商標権とっとけばよかったのに・・と琴桜師匠が・・。以前、私も梅星で検索した時に、そういう若い2人の女の子が居ることは、知ってました。 へぇー、そっちの梅星は売れてきてるのか・・どうせなら、同じ名前ですからビッグになって欲しい。えーっ、持ち歌60曲・・持ちネタ同じ位だけど・・こっちの梅星は若くないし売れてないけど、まぁ、講談の梅星も頑張らないと・・。
 
 さて、先週末には水戸支部の二葉会に師匠のお供で行って参りました。残念ながらこの日は琴桜師匠は先約で九州にお出掛けでお休みでした。終演後の宴会はいつもながら美味しい地元の食材を使った手料理を沢山ご馳走になりました。お酒を頂きながらハワイアン音楽とダンス。秋らしい涼しさの中、ここでは真夏のパラダイス気分でした。しかし台風の影響か?ここ2・3日は夏のぶり返しのようなお天気ですが、それにしても変な天気が続く年です・・。さぁ、今日はいざ新潟に、梅桜亭も丁度今月が10周年だそうです。準備の為に少し早く参ります。

 ここ数日、寝つかれませんでしたが梅桜亭では爆睡出来るような気がします。

2006年9月15日 (金)  
 秋も深まり行く今日この頃です。

 先日、羽野誠司さんのご紹介で有高扶桑先生にお会いする事が出来ました。私の新作講談「かめしゃん心中」の原作者です。今回お会いしましたのは、もう一作、先生の著書のタイトルになっております「あぶだ春朔」も、新作オリジナルで口演させていただく許可をいただけましたので、お目に掛かってお礼をとのことでしたが、お目に掛かる前に私の想像していたイメージは大柄なご年配の方。ところが、目の前の先生は品格があって物静かでセンスの良い素敵な方で、私のイメージとは全く違っておりました。先生の方でもきっと私のイメージはえらく違われたと思います、グスン・・。このH.P.トップの写真はもう5〜6年も前のもので、いい加減に変えなきゃいけないと常々思っていたのですが・・。

 私としては「かめしゃん〜」よりは、「あぶだ春朔」の方が古典講談に近くなるような気がします。「かめしゃん心中」と同じくらい良い作品ですので、これからのイベントで口演予定の「南極第一次観測隊物語」と同時に「あぶだ春朔」を2006年の最高充実した高座にしたいと願っております。それと「かめしゃん〜」の挿入歌、「のんのこ節」は暇があったら口ずさむようにしようと思います。ソーラン節なら直ぐ唄えるんですが・・。

 今、ひらめいたのですが、世田谷文学館でやらせていただければ嬉しいと思ってます。先生も世田谷在住ですし・・今度、文学館の担当者の方にお伺いしたいと思います。

 今日、国立演芸場の担当の方から11月の花形演芸会にお声を掛けていただきました。「や、やっと、私にも花形演芸会に出られるチャンスが〜!」と狂喜乱舞も束の間で、日程を聞きますと、ひゃ〜、新潟梅桜亭の予定が入ってる・・うーん・・・残念無念!!う・・ん・・と長いこと唸ってしまいました。次回のチャンスがありますことをひたすら願うばかりです。

 久しぶりに野川を散歩しましたら、鴨が20羽もスーイスーイと泳いでおりましたが、てんでに顔を水面に突つこんで、多分あれは餌を取ってるでしょうね。その内に皆の呼吸が合ったものか一斉に・・思い掛けない鴨のシンクロナイズを見ました、可愛くて滑稽で、あ〜面白かった。

2006年9月13日 (水)  
  昨日は「二つ目の会」が国立演芸場でありました。雨の日でしたが沢山のお客さまが来て下さいました。私の演題は、相手の凌鶴さんのネタに合わせて「峠」のテーマで、「出世浄瑠璃」30分位のネタでした。毎年今年こそ掛けようと思いながらも5・6年もの間ネタ箱にしまい込んでいたものです。結局は、このネタに決めた事を後悔するような高座になってしまい落ち込みましたが、物は考えようで、このチャンスがなければもう数年は掛けるキッカケを逃すところかもしれませんでしたから、これから、高座に掛けるようにして、慣らそうと思います。

 演芸場に出掛ける時に届いた手紙を電車内で見て、何度も間違いでは?と自分の目を疑いましたのは、昔お世話になりました写真家の郷司正巳さんが、C型肝炎が悪化して臓器移植以外に治療法がないので、やむをえず外国で肝臓移植を行うので募金活動のお願い・・という内容でした。
 昨日の「二つ目の会」は準備不足のネタでしたから、意識して集中しようと思ったんですが、知り合いでこういう事は初めてでしたので・・親身に感じてしまいました。

 差し出し人は「郷司さんを支援する会・世話人一同」となっております。「急を要するお願いのため。多くの方々に広げる時間が足りません。そこでご理解を得られる方がおりましたら、是非とも訴えていただきたい」とも書いております。どうか、沢山の方の目に触れて、ご支援いただけるように、私も微力ながら協力させていただきたいと思いました。

 郷司さんは14才の時、使いまわしの注射針からC型肝炎に感染し、長い間闘病生活を続けてきたという・・・私のこのHPの「梅星のできるまで」の三十路の写真は郷司さんが写してくれたもの。そもそも私と郷司さんの出逢いは、後楽園のローラースケート場のDJをやっておりました時に、雑誌の取材でいらしたのがカメラマンの郷司さんでした。それがご縁でその後、宣材用の写真等を随分撮っていただきました。写真の事になると一生懸命な方で才能もお有りで、信念の強いしっかりした考えを持った方です。今年の1月の写真展「日本の子ども60年展」のご招待をいただいて10数年振りにお目にかかりました時は、とても良いお顔をして、充実したお仕事をされていらしたんだなぁ〜と思ったのですが・・一日も早く回復されてこれからも、良い写真を撮り続けていただきたいと切に願っております。
 肝臓移植を支援して助けてくださる方が一人でも多くおられます事を願って止みません。
どうか、宜しくお願い致します。

    郷司正巳さんを支援する会
http://happy.greater.jp/goji/index.html

2006年9月6日 (水)   秋篠宮妃紀子様、ご出産おめでとうございます!
 台風の影響の大雨の中で、本日8時27分、皇室41年ぶりの親王様ご誕生という明るいニュースを日本中が祝福。私も今晩は赤飯でも・・という気分になりました。毎日が目を覆うようなニュースばかり続いてましたので、笑顔でテレビに向かうことが出来ます。

 我が家の室温度計も26度と大変涼しいので、顔のブツブツはだいぶ引っ込んでくれました。

 昨日、某皮膚科クリニックに3回目の治療に行って参りました。それで成程!と思った事は、私のは角質が厚いからこういうものが出来るんだそうです。それで柔らかくして角質を薄くすると、このブツブツは取れる〜と担当医はそう断言されるんです。・・それが本当ならとても嬉しいですが。

 これからも角質を取る薬と日焼け止めクリームを塗って、長いこと掛かっても取れるのでしたら CO2レーザーで処置するよりも、この方が費用も安く安心です。といってもサンプルのような容器に入った特製のお薬が4000円ですし、2週間に一度のフォトリフレッシャーという光を15分間顔に当てるのは、1万円です。保険が利かないので、治療に行く度に1万5千円から2万円位の治療費を払います。今まで、身体にお金を使ったのは、4年前に歯医者で奥歯一本のインプラント24万円以来。どちらも直接命に別状はないところだけど、とても大事なところです。何とかして、大金が無駄にならないように、講談を頑張りたいです。

 暑さでバテ気味でしたが、今日は汗も出ませんのでこれからは講釈に気が入るかもしれません。12日の「二ッ目の会」。相手のネタ絡みで出したネタは、気がつけばもう5年も高座に掛けてませんのですっかり忘れてます。暑さでボーッとしておりましたが、涼しくなって気がつくともう目の前、うわぁーっと慌てて覚えております。こりゃ、御前試合どころか・・試合前相手の気合いで倒れちゃいそうな、ハァ・・。
 
 「南極第一次観測隊物語」も、依頼が少しづついただけるようになりました。昭和31年の11月8日は親王様ご誕生と同じくらい国民が夢と希望に燃えた日のはずです。今日の国民の感激を忘れずに高座で生かしたいものです。

2006年9月3日 (日)  
 大変お世話になっている青森の元教師の方から、その方の甥子さんがボランテイアでやっている「養護学校」で来年、「南極第一次観測隊物語」を口演してもらいたいとお願いされました。その施設には、親から虐待を受けた中学生位の子供たちが暮しているそうです。

「南極〜」を掛けているときに客席を見ていると、その高座の出来具合にもよりますが、大人でも難しいのか興味ないような人もいると思われることもあるのに、さて、子供達はどうかな…と思いましたが、夢と希望を実現したお話ですから、子供たちが少しでも明るく元気になれることでしたら、有難くお受けしようと思います。

 今日の新聞にも宮城県で「27才の男が交際相手の生後10ヶ月の乳児を虐待死させた疑いで逮捕」と記事がありました。また昨日は、2年前に栃木県の小山市で幼い兄弟が殺害された事件がありましたが、そこの小山市で民間団体「こども虐待防止センター東京」で相談員を勤める方の講演会に市内外からの参加者390人が熱心に耳を傾けたそうです。虐待は後を絶たずに、それどころか益々増え続けているということです。

 大人ならば、人間関係の中で悔しい思いをしたり酷い態度をされたりすると、それを心中では恨み辛みしても、自分にも非がある…とか、自分を振返り反省するキッカケになったり、講談ネタに置き換えれば「雲居禅師」のように、それで自分自身を磨く動機になることもあります。

 しかし子供にとって、命の綱の親から虐待を受けるのですから、こんな生地獄はありません。私の講談で少しでもお役に立てるのでしたら喜んでやらせていただきたいと思いました。芸は人なり言うそうですから、自分を磨くチャンスを沢山作って精進したいと思います。

2006年9月1日 (金)  
 9月に突入すると途端に涼しくなりましたね。この夏の出来事で一歩踏み出して挑戦したことは、この時期に出てくる顔の汗管腫の治療を始めたことです。そもそも、パソコンを購入したのは、この汗管腫の治療情報が知りたかったからです。講談に入門以前の頃は「汗管腫」と検索しても数件だけ、今は1万500件程と大変多くなりました。でもやっぱり完治の例はなくて、良性だけどよく解らない皮膚病ですから、悩んでる女性はとても多いようです。何とか、夏になっても外観上わからない程度にまで、外科的CO2レーザー治療で平らになりましたら、汗管腫の方に朗報をお伝え出来るのですが・・健康保険が利かないだけに、デメリットは無いとしても変らなければ困ります。

 現在の治療は、角質を取るという軟膏を毎日つけてます。その上に日中は日焼け止めクリームをつけること。3週間取りあえずこの状態で一月塗ってみるという治療も、あと数日です。少し柔らかくなったような気がしますが・・残念ながら今のところ以前と変った感じはしません・・ね。

 最初の診察で10日間の空き日がないと、CO2レザー治療は出来ないと言われたので、それを見送ってまず薬を塗って効果がなかったら秋に一気にとのことですが、やっぱり夏に出るブツブツですから治療結果が確認出来る夏に(来年の夏にでも)、試したいものです。担当医にその様にお願いしようと思います。

 それに、この先生にちょっと失望したことが・・何故かというと、最初に弱い内科レーザーというのをかけた時、なんでもない所に随分かけてました。それが、2回目の時に前回撮られた指名手配のような写真を見て「あ・・鼻のところが多いんですね〜」と・・・。なんだ、位置が解らないでレーザーかけてたのかい!いくら弱いレーザーだからって・・。大丈夫かな・・この先生?パンフレットでは院長ってなってたけど・・。と期待感は早くも不安感に陥ってしました。

 梅星の重大イベントはこれから、10月と11月に「南極第一次観測隊物語」。それに秋の勉強会は12月に予定しておりますので、頑張らないと・・・。

2006年8月29日 (火)  
 新潟梅桜亭から戻りました。こちら浦佐もついこの間までは37度もあったそうですよ。その猛暑が梅桜寄席の頃でなくて本当に救われましたが、日中は暑かったです。

 師匠の部屋の階段脇窓に、大きな蜘蛛の巣が張ってます。これは、師匠が観察というか観賞用というか?蜘蛛が獲物を捕らえて生息している姿に「凄い!偉いな〜」と感心して見ております。丁度、大きなセミを捕らえられているところや、更に、小さな虫を中央の陣地に引きずり込んだところを見てワクワクされていた様子です。そういう訳で、ここだけは蜘蛛の巣を掃除しないのです。自然の摂理かも知れないのですが残酷な気がします。

 この二階建て古家屋は、階段を上がったところに和室があり、その並びに2部屋ありまして、私は奥の板の間部屋を使っておりました。寄席のゲスト、宿泊客の方の部屋割りは、その度毎に師匠にお伺いしてから、私が割り当てを考えておりましたが、この一年あまり、毎月やって来るお花の先生がおります。その方は梅桜寄席の無い時にもやって来て、私と同じ部屋を使っております。ひと月経って梅桜亭に来てみると、その方が宿泊したままで・・・何だか、私の立場が逆転したような感じになってしまいます。使用した後はその度ごと片づけていただきたいのですが・・。どうも師匠の取り巻きの方は、ユニークな方が多いような気がします。

 土曜の夜は寄席が終了した後に、梅桜出前寄席で小千谷の老人会に参りました。その帰り道、小出町ではお祭りの真っ最中でした。

    人が出て 祭り仕度や 知らぬ町
 
  ・ 提灯の  赤が嬉しい 里祭り (母・そのゑ)

2006年8月20日 (日)  
 「宇治川の合戦!」というと講談でも有名ですが、先陣争いで名高い佐々木高綱の子孫の住居と伝えられておりますのが隠岐島の重要文化財「佐々木家住宅」。その31代目当主の方が、なんと師匠が講師をされている渥美講談塾の塾生さんです。その方のお世話で師匠が「隠岐横綱サミット」で、相撲の講談を演じました。私もその師匠の前講で、一席やらせていただきました。

 面白かったのが、舞台に相撲の幟がたって、しかも土俵の中に高座があるのです。女性は土俵に上がってはいけないというけれど、その土俵の上で講釈とは・・とても珍しい体験です。ちなみに、私は相撲の話ではありませんが、師匠の雷電の講談は大評判、次もというお声もありましたようで。

 今回の旅は渥美講談塾の塾頭と雅子先生、佐々木ご夫妻に渥美塾講師の師匠と琴嶺先生、そして師匠のお供の私と塾生総勢19名で「隠岐講談ツアー」というタイトルです。離島と思えないほど豊かな島でした。見どころたっぷり、天然の海藻に魚介類が新鮮で食材もたっぷり。宿のご主人が私達の為に、夕食の藻を取ってきて出しててくれました。

 隠岐へ流された人は後醍醐天皇や後鳥羽上皇の他に3000人程・・高貴な方が多いので、文化や知的レベルは高いのです。後鳥羽上皇をお慰めするために島民たちが始めた牛突きは、ここの島の伝統文化の代表的な催しです。観戦は暑さの中で、牛も「も〜うイヤイヤ」しながら角をつき合わせており可哀想な気がしましたが。

 しかし暑い〜、クーラーが行き届かないところが多いので・・しかし、どこへ行っても暑い〜。

 帰りは隠岐〜出雲、出雲〜東京と乗り継ぎまして2時半に東京に着きました。あいにく台風の影響で、島前には行きませんでしたが、隠岐の良さは十分堪能できました。楽しいツアーを有難うございました。

2006年8月15日 (火)  
 小雨の中を靖国神社へ、荒川区議会議員の小坂英二さんと、その呼びかけで集まった皆さんとで昇殿参拝致しました。本殿御霊の左横には、今朝の7時40分に参拝を果たした小泉首相の献花が置かれてありました。今回は特に参拝者が多く、時間もかかりましたが、英霊の御霊を前にしますと神妙な気持ちになり涙ぐみそうでした。私の靖国参拝は特別な理屈はないのですが、知覧から出撃して散っていった特攻隊員一人一人のエピソードを語っておりますので、実際に会っていなくても、出撃していく顔を思い浮かべてしまいます。鳥浜トメさんが「出撃していく特攻兵はみんな透き通った顔をしている」とお孫さんにいつも話していたそうです。
 
 靖国神社の境内、今年はあまり色んなパフォーマスンの人に出会いませんでしたが、特攻服を着た小太りの男の人が何だか叫んでいたりした。似合わないっつーの! でも、写真をパチリ。

 昼食を取って武道館脇の弥生廟を訪れました。警察や消防の分野で殉職された方たちの霊廟で、2512柱が祀られております。その中でも特別功労者が2人いて、一人はフランス人だそうです。

 何だか、先日まで高座で掛けてた水戸光門の講談を思い出しました。兵庫県湊川の土手の片ほとりで、誰からも忘れられいてる楠正茂の墓を見て、あれだけの忠義を尽くした大忠臣楠正茂公の墓が草深い中に埋もれたままで誰も参拝する者がなくては気の毒にと嘆き、湊川で楠正茂公主従73人が討ち死にした事を調べて、光圀公が立派な石碑を建立する話なのです。
 
 かつては弥生廟も神社でしたが、今は無宗教に変えられております。そうなってから、訪れる人が激減してしまいました。一部の自民党議員が、靖国神社も無宗教にという声を上げているとの事ですが、それは、何としても阻止しなくては。また、弥生廟も参道には狛犬があり本殿正面の脇には蟷螂がありと、神社だった頃を忍ばせまております。何とか、公でもって感謝と敬意を示す形にお祀りしていただきたいものです。 公の為に命を犠牲にした先人に感謝と敬意を払って参拝をするのは、当然のことだと思います。

 よーく考えたらここは、季節柄景色が変っておりましたので気がつかなかったけれど、一昨年かな・・桜の頃に来た覚えがありました・・。何でも、こうなってあーなってと講談に置き換えてしまうのですが、しかし、何事も基本から勉強し直さないと・・これからだと大変だけど頑張ろう。今日は、色々と参考になりました。
 
 尚、弥生廟の詳しいことは、小坂議員のHPをご覧下さい。
http://kosakaeiji.seesaa.net/article/5617308.html

2006年8月14日 (月)  
 計画通りに進行することは、結構難しい・・昨日も決めていたネタを急遽変更しました。一日の予定をこなせないと、精神的なストレスになります。「耳なし芳一」は、今月どこかで掛けたいと思います。来月の末頃は新作を、これはとびっきり良い作品で、少しづつ覚えているところです。

 さて、明日は終戦記念日です。ここ4年前から8月15日は靖国神社に参拝致しております。我々芸人はこういうことは高座では言わないのでしょうが、高座の枕で「靖国神社には年3回、桜の咲く頃とみたま祭りと終戦記念日には参拝します!」と話しました。私の場合は、知覧の特攻隊員に母のように慕われた「特攻おばさん」鳥浜トメさんの「ホタル帰る」を口演しております。天皇陛下が参拝しない理由の書かれたメモが出て来た・・とか色々ありましても、戦争で亡くなられた方々〜特攻隊員達は靖国神社で会おうと言って逝かれたのです。母や妹を・・国を守ろうとして死んでいった若者達の御霊が鎮まっているのですから、どれを除けてどれをという訳にはいかないのではないでしょうか? 

 昨年からは、どちらにしろ参拝するのでしたら、羽野さんのご紹介で、終戦記念日の靖国神社参拝は荒川区議会議員の小坂さんと一緒に参拝という企画に参加させていただくことにしました。
 
 明日は、いつも一緒に参拝に出掛ける羽野さんが都合で来られないのが残念です。羽野さんの分も参拝して参りたいと思います。

 それにしても、暑い! 明日は涼しいといいのですが・・。

2006年8月12日 (土)  
 昨年まではこの時期、8月11日から浅草演芸ホールの中席「納涼住吉踊り」に出演させていただいておりました。「大喜利 住吉踊り」では講談だけでは分からないこと様々、勉強させていただきましたが、色々とありまして今年からは客席側での応援に伺うことにいたしました。
 
 今日は涼しくて過しやすいですけど雷が多発、電車のトラブルもあり、その時に出掛けた人は大変ですね。私はおとなしく家にいて、明日のネタの準備やお掃除をしています。明日は「もへい寄席」、ゲストは珍しく講談の先輩で翆月先生、読み物は怪談です。師匠も・・「ゾーッとする話」ですから前方の私も怪談「耳なし芳一」を久しぶりに掛けてみようかなぁ〜と思います。そういえば10月には、小泉八雲の記念館がある島根県の松江に「南極第一次観測隊物語」で呼んでいただいております。

 来週は、こちらも島根県の隠岐の島へ、新隠岐空港開港記念「隠岐相撲祭」で師匠が相撲の講談を演じます。私も師匠のお供で行くことになり、師匠の前方で一席やらせていただく事になりました。
 
 どうやら今年は、島根県に縁があるようです。

2006年8月11日 (金)  
 「汗管腫」という持病のため20代の頃から皮膚科のお世話になっております。行きつけの医院の先生の指示は代が替わっても「化粧品は危ない」「顔には塗らないように、日焼けに気をつける」等。私が化粧カブレをして診ていただいた時も出される薬は小児用アトピーの塗り薬です。その道では評判の皮膚科です。石鹸も刺激の少ないピュアな石鹸、保険が効いて費用も掛らない安心できる病院です。その主治医の先生にも一応相談致しました。

 先月梅桜亭に来てくださり、すっかり仲良くさせていただいた皮膚科の女医の先生のご紹介で、レーザー治療で有名なクリニックを訪ねました。「汗管腫」を根治する事は出来ないのですが、レーザーで削り平らにする事は出来ると言うのです。

 レーザークリニックの担当の先生は、一気にやってしまいたいところらしいですが、後の焦げた(写真を見てゾーッと!)状態の治療に10日間は必要だそうです。私のは顔面中央広範囲に渡りますので、絆創膏だらけの顔で高座に上がる訳にもいかないでしょう。暇な月とはいえども10日間の空きはありません。ですから、軽い内科的なレーザーと病院オリジナルの軟膏と日焼け止めクリームをもらってきました。軟膏は高さ1.5センチ直径3センチの小さな容器に入て4千円と高価なもの。これをひと月程続けて、平らになると万万歳なのですが・・それでダメなら、秋に10日間の治療期間を置き、一気にレーザーをかけるという治療計画のようです。私の顔に出るブツブツは数えられない程に増えております。後のキズを想像すると火事で顔面火傷をおった人のようで恐い・・。それに保険が効かないので、これ一個幾らとお金に換算すると莫大な費用がかかります。それで、変らなかったら・・と、不安はあります。とりあえず一センチ四方試す程度にしたいものです。

 師匠は「芸人なんだから、お金が掛っても治療しろ」と、母も「お金が掛ってもやりなさい」と言ってくれます。私も、そりゃ・・夏に汗をかいてもブツブツにならないなんて、20代から悩んでいましたから今の私には夢のようです。見た目ばかりの問題ではなく、身体に害はなくとも、ブツブツが出ると皮膚が引っ張られる感じがあり、むず痒くて不快です。成功したら、きっとこの不快感も少なくなる事でしょう。全国の汗管腫で悩んでおられる方たちの励ましにもなると思います。

 それにしても治療費用を・・お仕事頑張らないと!

2006年8月3日 (木)  
 仕事と休日の境がない職業ですが、今月は空き日が多いので病院を廻りたいと思います。ここ2日間喉の調子が悪いので内科や耳鼻咽喉科を廻りました。別段異常はなかったようです。大きな病院は、一ヶ所診察して会計済ませてお薬もらうまで半日かかります。病院に行くにはエネルギーが必要ですから、エーイ!と勢いに乗って、この際、気になるところは診察してもらおうと、今月は身体点検の月にしたいと思ってます。
 
 しかし、8月とは思えない涼しく過しやす〜い・・と思っていたら、今日は暑い!それより世界では異常な暑さでワシントンでは45°、ニューヨークでは39°熱波で70人以上が死亡!ブラジルのイグアスの滝の水が干上がったようです。39°〜45°と言うとどの位の猛暑なのか想像がしただけでゾッとします。

 先日、北海道から帰る千歳発羽田行きのフライトでは飛行機が随分揺れました。羽田に着陸体制に入る途中で飛行機が急上昇。スチュワーデスさんのアナウンスの声に動揺の気配「理由は解りませんがこの飛行機は上昇しております!」後で機長さんが、緊張したような声で「予定の滑走路が閉鎖されており急上昇しました。10分後に着陸を試みます」・・もうダメかも知れないとチラッ思いました。頭の中では、生命保険ちゃんとわかるところに置いておけばよかった〜とか、ああ・・家の掃除や片づけしてなかった〜とか、10月の松江・11月の船の科学館の南極50周年イベントにて「南極第一次観測隊物語」出来なくなる・・母親よりに先とは親不孝・・とか、そんな心の言葉が頭の中を駆け巡りました。

 ところで、その理由とは、前に着陸した遅れた飛行機が鳥と衝突した為の処理で予定の着陸滑走路閉鎖。別な滑走路に着陸したという事でした。近くの座席に座っていた男性は「機長正直に言えばいいのに・・着陸失敗したと」というような事をボソッと喋ってました。それで40分遅れましたが、それより無事に着陸出来たことで生き返った気分になりました。

2006年7月29日 (土)  
 昨日、北海道から戻りました。私には涼しく感じましたが、地元では暑いと言っておりました。

 実は、劇団シアター青芸の「ウインズ・オブ・ゴット」(今井雅之原作)の公演がありました。この芝居はなかなか良く出来ていて沢山の方に観てもらいたいお芝居です。この劇団に少々縁がありまして、その前に「ホタル帰る」をという話も・・とにかくキッカケは地元の羽幌で公演があるので帰省しましたが、あとは3日程ゆっくりして参りました。

 母と弟と夕方から海に行って、海の家でおでんやたこ焼きお酒も少々飲みながら、太陽が沈むのを眺めました。その景色がとってもきれいです!でも人気のない浜辺は秋のような肌寒さ。それでも25年間、ずーっと夏になるとここで頑張って店を出しているご夫婦が、ジャンバーのフードをかぶって最後まで屋台を開けて・・他は店終いしたのに、ここのご主人はこうして毎年、沈む夕日を見続けてきたんでしょうね。

 実家では早寝早起き三度の食事。規則正しい生活ですから我が家は長生きの家系といわれるのでしょう。それに母も姉も、私が送った新谷先生の本を参考にして、良く噛み腹七分目、夕食後は食べないを実行してましたので、特に母は痩せて若くきれいになっておりました。勧めた私がブヨブヨですから、見兼ねた母が「ハイ、これまで!」と食事制限してくれましたので、その時は足りないような気がしても、後でお腹が丁度良くなります。本当に親は有難いものです。

 実家に帰るのは楽しかったのですが、新潟梅桜亭から引き続きだったのでいささか疲れました。来月も新潟の梅桜亭の前にまた旅の予定がありますが・・う〜ん、気力が乏しいけど頑張ろう。

2006年7月23日 (日)  
 今日は調布花火大会の日で、梅桜亭から帰ってきて駅をおりた時が、ちょうど最後の連発打ち上げ花火のようでした。残念ながら音しか聞こえなかった・・けれどそれどころじゃない、明日は早朝から札幌に飛びます。

 今回の梅桜亭では新潟市のお客様が、殻付き生牡蠣や平目の刺し身に、アラのお吸い物等・・う〜んもう最高に美味しい! 私は、牡蠣3つもいただきました。その分、今朝は働かねばと、せっせと拭き掃除を致しました。今日は新潟も30度を超して暑いなか、寄席前に一汗流して気分を爽快でした。

 それでは明日から、北海道に行って参ります。

2006年7月21日 (金)  
 今日、新潟の梅桜亭に参ります。師匠と待ちあわせして行くのですが、その前に銀座でお仕事してから、新幹線に乗ります。ですから今日は、到着が夜遅くなりそうですので、梅桜亭のお掃除は翌朝までずれこむかもしれません。今月は琴桜師匠も来られるので嬉しいです。

 しかし、新潟も大雨のためになかなか大変なことになっています。中越地震に続き大雪で、そこにまた洪水では・・何とも言葉も見つかりません。それに、10月にお世話になる島根県松江市でも市内が水浸し・・・被害に遭われた方たちには、心からお見舞い申し上げます。

 さて、私達もこれからの道中大丈夫かな?

2006年7月20日 (木)  
 ここ数日は、後援会「梅星を育てる会」の梅星通信の作成と発送で慌ただしくしています。下手な字や文章でも、手書きのお手紙を入れてとなるとグズな私はもっと時間が掛ってしまう・・でも、活字だけじゃ味気がないから、手間暇かけて送るところに意味があるような気がします。
 
 会員に加入してくださってる方はもちろん、会員にならなくとも木戸銭払って勉強会に来て下さる方、日頃から梅星を応援してお世話下さっている方等にお送りしてりますから、結構部数はありますので、まだかかりそうです。

 全国的に大雨に洪水で被害が多いですね。私の姉の旦那さんの実家は京都の丹後ですが、山が崩れ、お墓になっているので墓石が落ちてきているらしく、温泉に非難しているようです。携帯を持っているはずだけど、使い方がわからないんじゃないか?とか、急に非難したので充電器を持って出なかったんじゃないか?とか・・しかし、親類に問い合わせたら、それが誰もその携帯番号を知らなかったという・・・一度電話を掛けてきて無事だと知らせは受けていますし、今のところ家も無事だそうで取りあえずホッとしているそうです。

 しかし、東京は涼しくて顔のブツブツは沈静して良かった・・ちょっと不謹慎かも。

2006年7月16日 (日)  
 昨日の寿司政寄席のネタ、準備が当日の午前中になってからで覚えきれなかった・・グスン・・。寿司政さんのご主人が楽屋に扇風機で風を送る先に、氷柱3本くらいを置いてくれました。粋な心遣いに一際グッと涼しく感じられました。有難うございました。

 その後で靖国神社「みたままつり」に行きました。今年で4年目ですが、毎回献灯しております。小さなものですが、その提灯を見に行きました。大きな提灯は有名な方も多く、それを眺めるのも一つの楽しみです。

 遊就館内の食堂で同席した方と、ひょんな事でお話をするようになりました。何とその方・・「浅井長政・お市の方」の直系子孫という、張り扇でポンと叩いて400年の時代を溯ったような気分になりました。そこへ、拉致被害者奪還の集会から駆けつけてきた羽野さんが。そうしたら羽野さんのお母さんの実家は明治維新まで「六角」を名乗っていたそうで、近江の六角氏ゆかりの家柄。戦国時代、近江の名門の、たまげた歴史の巡りあわせの日でした。 かたーや浅井!かたーや六角!って、講釈師冥利に尽きる「みたままつり」のエピソード、これも何かのお引き合わせでしょうか。

2006年7月12日 (水)  
 今年も、早いもので半分は過ぎました。今日はアドレスブックを書換えながら、年賀状やお葉書を整理しつつ改めて見ておりましたら、懐かしい人からのお手紙を見つけて、読み返したりしてホンワカした気持ちになってます。今はメールやファックス電話で、直ぐに相手に届きますが、やっぱり実筆に勝るものはないようです。
 私は親からの手紙は例えメモ書きのようなものでも取っておきます。何だか、もったいなくて処分することが出来ません。兎に角、保存してしまいます。

 さて、世界は北朝鮮のミサイル発射に騒然としている状況ですが、一方国内の方も、放火に子殺し親殺し・・もう、どうなってるんでしょう。命の重さは、何ものにも代えられない筈なのに・・「ホタル帰る」の特攻隊員達は何の為に死にに行ったのでしょう。愛する家族や恋人や、故郷の美しい自然を守る為に散っていった彼らは、60年後の今の日本を見たらどう思うのでしょう・・。

2006年7月10日 (月)  
 昨日は埼玉の高麗川で、「ひだか寄席」に出演させていただきました。素人の方たちの落語の寄席にプロの噺家の師匠がトリで出演するのですが、この社会人落語が上手いんです。ただ、皆さんが少しずつ時間オーバーしますので、私が5分縮めたくらいでは調整にはならない(笑)。打ち上げは、昨年のお店も、まだ出るのというくらいご馳走をいただきましたが、今回も美味しい家庭料理がどっさり、美味しかった〜。特にかぼちゃの煮付けがホッペが落ちる程美味しかったです。

 今日は、年に一度お世話になります、青山の高徳寺さんの「お施餓鬼」へ。いつもは10月に参りますが、師匠のご都合で今年は師匠と交代、私が夏に伺うのは初めてのことです。そこで「ホタル帰る」を一席申し上げましたら、しっかりと聴いていただけました。途中から席につかれた方は「半分聴きそびれたから、是非また聴きたい」とおっしゃっていただけました。この話を語ると、トメさんや特攻兵や礼子さんの供養になったような気になりますから不思議です。

 6月もそうでしたが、今月も10日までは毎日のように高座が有り、ありがたいです。明日から数日空き日になりますが、兎に角、今日はよーく休みます。

2006年7月7日 (金)  
 やっと、今日部屋の掃除や整理が出来ます。ここのところ日替わりでネタを復習っていました。オリジナル講談3作も続けて高座に掛けました・・残念ながら、まだまだ稽古不足ですし、途中で声が出なくなるので困ります。発声法の問題と、喉が弱い・・のでしょう。私のは長くて難しいけれど、これが・・解る人には、わかるようなのです。世の中にそういう人が多くなる事を願いつつ・・講釈精進して参りたいと思います。

「ホタル帰る」の赤羽礼子さんが亡くなられてから初めて「薩摩おごじょ」に行って来ました。今は礼子さんのご子息の潤さん夫妻が経営しております。焼酎の水割りと、礼子さんが漬けたと思われる梅酒を飲み、九州のお料理をいただきながら、トメさんや礼子さんや特攻隊の話をしてきました。息子さんは、「今の自分があるのは特攻隊員のお陰。母が米軍機に襲われた時、彼らに守ってもらわなければ、母はその場で撃たれていただろうから、今の自分はこの世には生まれていない。感謝してる」とおっしゃっていました。これだけでも、十分重みのある言葉です。

 今の若い人ばかりではなく中高年世代でも、当時の特攻隊員たちの気高く崇高な精神を持った魂には近づけません。出撃する時にトメさんに「行って参ります!」と声を掛けるこの時は、「皆、透き通ったいい顔しているんだよね〜。」と話していたそうです。これから死にに行く人に何て言っていいのかわからなかったそうです。

 来年公開予定の映画「俺は、君の為にこそ死ににいく」のトメさん役は岸恵子が演じますが、これは礼子さんの希望だったそうです。きっと石原都知事がそれを知って、岸さんでと言ったんでしょう〜とご子息は言っておられました。トメさんは、自分は富屋食道で出撃する特攻兵のお世話をしたから、礼子さんには、生き残った特攻兵のお世話をしなさいと・・それで、生き残った特攻兵の人達が集まれるお店を開店したわけですね。

 お話を伺って、私に出来る事といえば、まだまだ拙い講釈ですが、トメさんや特攻隊員や礼子さんへのせめてもの供養の為にも、あちらこちらで「ホタル帰る」を口演させていただく事だと思いました。

 ちなみに「薩摩おごじょ」という店名は特攻兵の人がつけたそうです。もしかしたら、ホタルになった宮川軍曹がつけたのかも・・しれません。

2006年7月5日 (水)  
 初めて木更津に行って参りました。真言宗上総第一教区の総会での一席。この夏に「ホタル帰る」のご依頼をいただきましたので、有りがたいことです。それに沢山の僧侶の方々並びに檀家代表の方々のお集まりですから、さぞ特攻隊員として散っていった若者やトメさん、昨年お亡くなりになった赤羽さんの供養にもなったことだろうと思います。

 宮川軍曹の命日も、もう過ぎてしまいましたが、今年も「ホタル帰る」の講談で頂戴しましたお志の一部を、些少ではありますが新潟中越地震の被害に遇われた宮川軍曹のご遺族にお送りして、ご仏前にお花を供えていただこうと思います。

 自前の折りたたみ式釈台を持って行ったのですが、これに着替えの着物、絽の着物だからまだ軽かったのですが、それでもこの硬くて大きな荷物を持ってでは、すれ違う人の迷惑になるし、自分も汗ダクダクで一席やる前に疲れてしまう。釈台は良い木を使っていますのでかなりの重さ。年々体力は衰える一方だし、もう一つ軽いものを作らないと・・。帰りは高速バスで東京まで、窓に広がる景色に目を見張りながら帰ってきました。

 さて、今日は国立演芸場で「かぶら矢会」に、前講で出させていただきます。今日のネタやらないと・・・。

2006年7月2日 (日)  
 7月に突入しましたが、皆さんお元気ですか?もう、夏は着物を着て出掛けるのも一仕事です。クーラーをガンガンに入れて着物を着ます。

 忘れもしない2年前の夏、○○○○○亭のホールを借りて会をやりましたら、その日は楽屋のクーラーが故障だと軽く言われてしまった・・・もう、信じられない!7月の中旬過ぎの猛暑でしたから、普通に暑いばかりでなく私は顔にもブツブツが出るんだから・・・蒸し風呂に入ってるようなもので、最悪な日でしたね。未だに忘れられない、夏になると思い出すワースト1です。高座のワーストは色々ありますが、やっぱり愛宕山の高座から落ちたこと・・出丗の階段から落ちたらえらいことになるけど、かといって武勇伝には入らないか。

 じつは昨日、愛宕山講談会でしたが、この暑さの中を着物で85段登りました。師匠なら一気に上がるんでしょうが、私は60段目でハァハァと荒い息・・曲垣平九郎が乗ったヒョコタンヒョコタンした馬よりも情け無い感じです。

 この愛宕山にはエレベーターもあります。私は道順の都合でしかたなく階段を登ったのですが、この日、エレベーターは「点検中」。なんと、今話題のシンドラー社製でした。閉じこめられた人はいませんが、慎重に点検してるんだそうです・・知らなかったな・・。

 そういえば私も、数年前に住宅の、シンドラーではなかったのですがエレベーターに少しの間、閉じこめられた事があります。強度の不安感と恐怖でパニック状態になりました。流石に、それからは暫く階段を使いましたね。

2006年6月29日 (木)  
 昨日は、南風舎の岡部さんの企画「奇人変人の集い」で「南極第一次観測隊物語」を口演させていただきました。当時の「南極観測」に目を輝かせた子供だった世代の方もいらして、後で色々とお話を伺いました。「○○新聞、昔はいい事をやったんだね〜、そんな記者が出ないかね〜」とか「松村大臣の一言は大きかった・・」とか、「今はそういう人が居ない」とか。この「奇人変人の集い」は社会的にも地位の高い方の集まり、それだけに言葉に重みがあり、当時の南極行きはとてつもない事業だったんだと改めて知る事が出来ました。

 お酒やビールは少しくらい、飲めないわけではないのですが、夏は大汗をかくと顔が大変なので残念ながら控えた方がいいようです。しかし暑くなりました、今日も夏日・・。絽の着物は7月からなのですが、もう我慢の限界・・まだ6月なので気が引けますから、地味な柄にしておきます。

2006年6月26日 (月)  
 昨日の夜東京に戻りました。家に着いた時は深夜でしたが、それでも、一日早く帰って来られて良かったと思いました。

 今年、ホタルは数匹だけ・・大雪のために田圃の水が冷たいので、まだ出ないようです。ここ3年くらいは、宝石をちりばめたような沢山のホタルを観賞出来たのですが、わずか数匹でも、これを初めて見た方は大はしゃぎされておりました。

 今回は梅桜亭に、お花の先生とお弟子さんたち、それに親族や友人関係の方などを含め、10人程もお見えになり大賑わいでしたが、その中に皮膚科の女医さんがおられました。私は毎年、夏になると顔にブツブツが出てくる「汗管腫」という病気に悩まされております。人によって、胸や太股など多く発汗する部分に出るようですが、私は顔に汗が多いのか・・・。

 その女医さん、私の顔をじっと見て、さすがに皮膚科の先生、すぐにわかってくれました。私も行きつけの皮膚科はあるのですが、クーラーの効いている待合室で2時間も待っていると、ブツブツはおさまってしまうので、酷い状態を診察してもらえなかったのです。

 今回の梅桜亭あたりは蒸し熱く、その中で働いて一汗かいて、汗管腫が出そろった状態を初めてお会いする方ですが、たまたま専門のお医者さんに見てもらえました訳です。レーザー治療のいい病院を紹介していただけるとの事です。レーザーでブツブツを平らにするやり方ですが、目の回りの汗官腫もあり、広範囲に渡っておりますので全部は無理なようです。それに、これは保険適用されていないので費用は高額! それでも、確実に消せるかどうかはやってみないと判らない。そうは言ってもこの鬱陶しい病気、紹介状が届いたら、とりあえず看ていただきたいと思っております。

2006年6月22日 (木)  
 今年の初物では「さくらんぼ」に「スイカ」、祖母が生前、畑でスイカを作っていました。道を挟んで家と畑。私が子供の頃、畑から、自分の両手にやっとの大きさのスイカを抱えて来て、道の真ん中で落としてしまいました。その豪快に割れたスイカの甘く美味しかったこと、あの時の緑と黒の模様のまーるい形の中から飛び出した真っ赤な実・・スイカの色彩と、びっくりした子供の姿が遠い日の写真を見るように思い出します。

 サクランボというと、思い出すのはお祭り。故郷の7月8日から10日までの夏祭りは、年に一度の盛大なイベント。サクランボは、この頃にだけ食べた記憶が・・やっぱり今も昔も高級品ですね。

 キャリアケースが、これまでのサイズでは間に合わなくなり、やっと一回り大きなサイズのものを買いました。これならケース一つにまとまり、2〜3泊の旅に丁度良さそうです。早速、明日からの新潟梅桜亭の旅で使います。

2006年6月21日 (水)  
 昨日のお天気に誘われて高幡不動尊に行って参りました。境内は千古の緑に包まれて、7500株を誇る紫陽花を見て来たのです。高幡不動尊は何度も行っておりますが、紫陽花の時期は初めてで、いつか行って見たいと思っておりました。それにしても、あんなに種類も花の色もあるとは思いませんでしたから、吃驚するやら感心するやら。青空の色や紫やピンクや黄色に白と・・もう随分ありましたね。もう紫陽花浴といいましょうか・・あじさいからパワーをいただき、よーく虫干しして帰って来ました。

 たぶん7500株の内、半分位は観賞出来たと思ってます。あれだけこんもりとした紫陽花の花も、茎葉の緑が豊かでしたので、合間からちょこんと顔を出している恥ずかしがり屋な紫陽花も・・。人見知りなところは私のようで、そっと撫でてきました。花の形も色も僅かづつ違うのです。白に見えてもよーく見ると黄色があったりピンク色が入ったり、きっとこれから変化するのでしょう。

 いつも6月になると、安房直子さんの作品で、紫陽花が小さい女の子になって傘を作ってもらう話を思い出します。今日は雨ですが、雨に濡れてるアジサイも良いですね。

2006年6月20日 (火)  
 このところ、引き隠りの日が続きました。家に居る事は好きな方ですが、どうも今一つ気持ちが萎えておりました。それに、このところ普通の生活をしていなかったのでその反動でしょうか?丁度、仕事がないときですが、大概は何かしら出掛ける予定が出来てくるのですが・・・ちょっとスランプ気味でしたでしょうか。

 2ヶ月程前から、健康の為に心掛けている事があります。朝食前ミネラルウオーターをコップ3杯くらい飲んだ後、20分ほど間を置きます。それから果物を食べて、20分後に生野菜中心にした食事をします。これは、新谷先生の本を参考にしました。ですから、早起きをしないと午前中がその事に追われます。忙しい時は、ミネラルウオーター飲んでから、果物を食べて出掛けてしまいます。食事も、一人前を作ればいいのに、どうしても多めに作ってしまいますので、結局全部食べてしまう・・。この間まで心持ち痩せたと人から言われていたのに、1人前半は食べるので体重は戻りつつ・・トホホ・・。
 
 あらら〜、ひと月経つのは早いもので、新潟の梅桜亭に行く日が近づきました。どこも出掛けてなかったので、今日あたりは虫干しに行ってこようと思います。

2006年6月17日 (土)  
 近くの病院で一日分の薬を貰って飲んでいます。梅桜亭に行くまでの間は、少しでも規則正しい生活を心がけようと思います。おっと!その前にネタの準備は万端やっておかないと。梅桜亭は仕事が大変ですから、気をつけないと帰ってきてからの高座に響き、先月の勉強会のように失敗を招くことも・・。

 心身の為にも充電という期間は好きです。いつも人のことを考えて行動したりしていたのですが、それが結果的にあまり意味のないこと、むしろマイナスだったんだと感じはじめたことがありました。これからは、私もちょっと冷静な見方をしていこうと思います。
 
 今日は、トイレットペーパーやティッシュぺーパーを買いだめしました。何でも、原油価格高騰で値上げするんだそうです。食卓や生活に欠かせない品々が高くなるのは非常に困りますね。かってのオイルショックの時を思い出しますが、あの頃は、池袋の喫茶店NでもDJをしていましたけど、リクエストカードの代わりに紙ナプキンを配ったような記憶があります。あんな事は初めての体験でしたが・・今回は、それとは違って、中国の「がぶ飲み」だと・・原油の独り占めという事でしょうか?中国五千年の歴史を誇るのはいいのですけど、実に恐さも深みがある国ですこと。日本ものんびりしてられないようですね。