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2004年10月29日 (金)  
 今日はとっても良いお天気です。普通に暮らしている人にとっては、アッという間の一日だけど、地震で被災した方々にとっては、たとえ一晩でも長く感じられることでしょう。
  
 「宗谷」で解説ボランティアをやっていらっしゃる方から、励ましのメールをいただきました。そもそも、新作オリジナル「南極第一次観測隊物語」を船の科学舘の協力で初演するキッカケをつくって下さった方です。
「48年前、全国民の希望と期待を受けながら日の出桟橋を離れた宗谷を真横
に見ながらの「南極第一次観測隊物語」元気よくお願いします。奇しくも当日は(11月7日)は第一次出港(昭和31年11月8日)48年目にあたります。三代目南極観測船「しらせ」も恐らく一週間以内には南極へ向かう頃(熱海埠頭で待機中かと)との事です」
 本当に、偶然の出逢いですが、「宗谷」が巡り合わせてくれたのでしょうか。いま本番目指して必死に稽古中、とってもいい話になりそうです。ぜひ大勢の方に聴いていただきたい、「梅星限定」お勧めの一席です。

2004年10月28日 (木)  
 勉強会まで後10日、もう時間がありません。納期ギリギリの「宗谷」大改造のような状態です。ここだけは「宗谷」に似ているか。
 新潟中越地震を気にしながら、「南極第一次観測隊」の準備に全神経を集中しなければなりません。芸の世界は、親の死に目にも逢えない事があるのは承知しておりますが、こういうのは辛いです。でも大自然が相手だと、人の力で余震を沈められるわけでも無く、どうする事も出来ませんが・・・。せめて、物資や食料、暖房はしっかりして欲しい。車に避難といっても、自家用車だと狭いですよ。大きな車を提供するとか、簡易住宅を建てるとか、何かもっと工夫出来ないものでしょうか? これ以上の犠牲者をださないよう、国や自治体にもっと対策を考えてもらいたいと、イライラしてしまう毎日です。

2004年10月26日 (火)  
 テレビで「新潟中越地震」のニュース を見る度に、泣いて目が腫れぼったい私です。温かいオニギリどっさり持って行ってあげたい! ホカロンもどっさり持っていってあげたい! お年寄りの方や病気の方、身体が弱っている方などは、安全なところに搬送したらいいのにと思うとじれったいです。勉強会を終えたら励ましに行こうかと考えています。果たして何が出来るのか、何も出来ないかもしれないけど、じっとしていられないんです。

2004年10月25日 (月)  
 23日の地震の時は梅桜亭から移動して、JAささかみ主催のお仕事で師匠とご一緒でした。出番直前までテレビで地震情報を見たり電話連絡を取ったりで、心の準備が無いまま上ったので(この頃こういう事が多い)ネタがスムーズにいくかどうかの方が心配で顔が引きつりました。お客さまもこういう時だけに20人くらいはお帰りになられましたが、こんな状況の割には沢山のお客様でした。たぶんもう「災難」と思って最後までお付き合い下さったようです。
 師匠の時はお客様が大笑いで楽しんでおられましたが、実は話の途中に2度も地震があり、流石にお客さまも地震の度に中腰になっていたそうです。
「ぽっぽ五頭」という所が会場であり宿泊所でした。被災地では住民の方々が恐い思いをして寒い夜に避難生活、梅桜亭でも壁が崩れるところがあったり、電気の傘が落ちたり食器が割れたり停電になったりしているのに、私達は御馳走を頂いてお風呂で暖まってでは申し訳ないようです。
 しかし翌日は、梅桜亭まで車で2時間のところが9時間近くもかかりました。関越道も亀裂がありましたし、家が傾いたり、石垣やお墓の石が倒れたり、橋が持ち上がったりと悲惨な状況です。住民は車の中や広場にゴザを引いて寄り添って座っていたりします。また、大きな風呂敷包みを背負ってる人、お布団などを運んでいるのでしょう。
 道路は柏崎あたりまで渋滞していましたが、その先からは道を選びながらもスムーズに梅桜亭にたどり着けました。梅桜亭は思った程の被害ではありませんでした。すぐに荷物をまとめて帰路に着き、我が家にたどり着いたのは夜の11時40分頃。休む間も無く被災地の方々に連絡を取りますと、大力納豆の社長さんや、小川さん、小千谷の宮川さんたちも身体は無事でホッとしました。
 しかし、やっぱり被害は深刻です。特に大力納豆が、あ〜社長さんの納豆が・・大変です。本当は、出来ることなら残ってお手伝いをしたいところです。それと、もっと大変なのが緑川酒造。あの会長ご夫妻は、どうしていらっしゃるでしょうか? そしていつもの梅桜寄席のご常連の方々も心配です。今も被害地では、余震に脅えて眠れぬ夜を過しているかと思うと、いてもたってもいられない気持ちです。
 私は今、大事な勉強会を控えているところ。それがなかったら、新潟に残ってお手伝いを買って出たかったのですが・・・。11月7日の「南極〜」が終了後、様子を見て考えようと思っています。どうかどうか、一刻も早い復旧を願っております。

2004年10月22日 (金)  
 今日から新潟梅桜亭です。本年10回という異例の台風23号の被害にびっくりしますが、梅桜亭のあたりは大丈夫だったのでしょうか。航海練習帆船「海王丸」が座礁した映像を見ると、海の嵐の恐ろしさが分かります。「宗谷」の話をするので、こういうニュースに思わず目が行きます。
 しかし、今年はまったく色々と大変なことが起ります。私にとっても、今年は大きな新作二本挑戦という大変な年となりました。私の頭では出来る範囲を越えているのかもしれませんが、常に前向きに、意欲をもって努力を続けると、眠っている遺伝子が目覚める事があるそうです。これからが正念場です!

2004年10月18日 (月)  
 神経が過敏になっているせいか朝方の小さな地震で目が覚めました。これに気がついた人は少ないかも。
 
 青森の美味しいりんごにジュースをいただきました。羽野さんが、二度目に行った五所川原公演にいらしたお客様からの差し入れのおすそ分け。新鮮なリンゴジュースを1ケース! 前回の五所川原、ライブハウスでの公演の時にいらした特攻隊員関係の方が、再び羽野さんの楽屋見舞いに訪れたそうです。それで私にもお裾分け、嬉しいです。ちょっと疲れてる梅星には、果物は最高です。そして、びっくり巨大さつまいもまで!

 ところで、昭和31年当時は中学生だったという知人からお手紙をいただきました。「国際地球観測年記念切手が発行され、日本もようやく世界に肩を並べて活躍出来るんだな〜と胸がワクワクするような思いで、その切手を郵便局に買いに行った記憶がある」とのことでした。小学校時代のお友達と聴きにきて下さると、前売り券を買っていただきました。このお手紙を拝見してとっても嬉しくなりました。この話の価値をちゃんと分かっている方がいるんですね。

 これは、敗戦からの復興に思いを重ね合わせた沢山の人々の協力で成し遂げられた大事業なのですが、その中には大変な努力と感動がありました。日本が南極に観測隊を送りだせるまでのドラマや、「宗谷」登場、そして越冬隊員達の奮闘、カラフト犬の活躍など。また、宗谷が帰路に着くときにその姿が消えていくまで見送る越冬隊員の気持ちや、カラフト犬との別れ、そしてタロ・ジロとの再会など、ジーンと胸に迫るものがあります。ほとんどの南極関係の映画や本などでも、ここまで真実は語られていないそうです。ですからこのオリジナル講談「南極第一次観測隊物語」は大変貴重なものではないでしょうか。
 11月7日(日)船の科学館の羊蹄丸内、アドミラルホール。「宗谷」を見ながらという、飛びっきりの舞台背景に恵まれた場所での勉強会となります。この話は「ホタル帰る」とは違って、今のところ自主公演や通常の寄席の高座での予定ありませんので、皆様に聴いていただけるこのチャンスをお見逃し無く。
 さあ、巨大サツマイモを蒸かして食べよう。

2004年10月17日 (日)  
 スーパーお風呂に行く途中で見つけた昔ながらのシミ抜き屋さんに、夏の着物を頼んでいたので取りに行ってきました。先方のご主人が落語や講談好き。といっても寄席に来るわけではなく、もっぱらラジオで聴くフアンですが。それがきっかけとなり、店先で紅茶をご馳走になってワイワイと30分くらいもお喋りしてしまいました。あとで気付くと、お客の私の方がサービスしているようで疑問は残りますが・・。なんだか悲しい性ですね。夏に頭から汗がながれて1回しか着ないのにエリが汗染み、それともう1枚は食べ物がエリについてシミになってしまったのが両方とも綺麗にとれて良かったですけど。お金が掛かるから、出来るだけ汚さないように気をつけなくては。
 昨日お客さまから、収納も困るしと思って遠慮していたのですが、着物をいただく事になりました。大きな風呂敷をヨイショとかかえて帰宅。帰って開けてみるとこれがおしゃれでいいものばかり、しかしその中の3点だけ、勿体ないけどシミが! 塩瀬や絽の着物はシミが取れるかどうか、とにかく出してみよう。染み抜き屋のご主人、お願い着られるようにしてね〜! ここのところ同じネタでも出来の変動が激しい・・私は、かなり疲れてるかな。

2004年10月14日 (木)  
 この2、3日深夜起き出して、朝方寝ることが続いています。まるで受験勉強でもしているみたいです。そんな環境で見る夢は、どうも学生の頃の学園祭。5分程度、何かを覚えるという話しをしていて、「私は今1時間覚えてます」なんて言ってる。現実が入交じってる。たとえ夢でうなされようが、台本全部覚えるまでは気が休まりません。

 セイ様(羽野さん)青森から無事にご帰還です。2度に渡っての五所川原公演、今回も大盛会だったそうです。それにしても2度も台風に向かって東北まで車を走らすとはなんだか「宗谷」のようです。私も「宗谷」にあやかってバキバキドッシーンと氷を掻き分け押し分け、ジワジワと進んでいるところ・・あ、もっと早く進まなければ。もう〜、ワンこと遊んでる場合じゃないってば!

2004年10月9日 (土)  
 先日は結構長い揺れが続いた地震がありました。すぐにドアを開けてガスを閉めて逃げる算段を・・普段から非難用のリュックは用意してないといけないな〜。こういうときに「大丈夫かい?」と、安否の連絡をもらうと心強くなる。
 今日は、先週に引き続き台風が、それも大きな・・こりゃ大変だ〜! ちょうど、どこも出掛けない日だからいいものの、羽野さんは台風と張りあってるのかその逆なのか、今度は池端先生の朗読公演で明日からまた青森へ行くそうです。いや〜大変ですね。「台風でりんごが転がってたら拾って持ってきて」なんて場合じゃなさそうです。次から次と、この地球はどうなってるのでしょう?
 地球といえば、地球上の自然現象を調べる上でも大変興味深いこと、日本最初の南極観測の話、新ネタの「南極第一次観測隊物語」日本の偉業の一ページですよね。あ〜、やっぱりこの講談は凄いスケールの大きいネタなんだな〜。おまけに少し賢くなったような気がするし。今日はこのお稽古して、夜は明日のネタ復習って・・と計画通りに予定をこなす事が今の私に大事です。(今まで、予定は未定でしたので改めて)これからは、11月7日までは、負けられません、勝つまでは・・なんて私はいつの時代の人間なんだ??

2004年10月8日 (金)  
 今日は川越の蓮馨寺境内での辻講釈でした。早くから行って準備しますが、台風の影響かドンドン雨が強くなります。こんな雨と寒さの中、いつも来て下さるお客様有難うございます! そんな皆様のご迷惑をも顧みず、今日は来月の勉強会にかける新作「南極第一次観測隊物語」前半だけやらせていただきましたが、うーん・・やっぱりまだまだでした。まだ覚え立て、でも、やらないと形にならないし・・。終わりまできちんと一席聴いていただければとってもいいお話ですから、とにかく私にとっては大舞台の11月7日には、ぜったい仕上げるようにしないと。「奇跡の船」宗谷の傍らで演じる高座、私も奇跡を起こして見せる意気込みです。

2004年10月6日 (水)  
 年がら年中、むやみとバタバタしているのは、早い話、私が要領悪いからだとこの頃思うようになりました。トロトロしてるからだ。ギリギリになってからあれもこれもといっぺんにやるから大事になってしまうんだ。
 今日は黒紋付きで高座に上がりました。何故かというと、その後にチョット訳がありましたので・・。しかし、来月の勉強会にかける新作オリジナルは一時間と長講なので、それをやりながら古典のネタも準備するのは結構大変です。でも、古典も高座に掛けないと覚えられないし・・。もうこれから後は、11月7日の「南極〜」に全てをかけることにします。
 帰りにお腹が空いたので回転寿司に。それが、皿を間違えて食べた後で気がついた、一皿700円だった! しかもウニがイッカンだけの、グスン・・・。お醤油も殆どつけないで味わいもしないで食べたので、勿体無いことをしました。そこの寿司屋は最高1400円の皿がありました。よーく皿を覚えないと大変なことになるかも。回転寿司は料金も判りやすいし早く済むと思ったけど、甘かったー・・。皿の種類が多くて高額な皿があると、けっこう神経使います。

2004年10月4日 (月)  
 夕べ青森から戻って来ました。元教師の永澤先生のお世話で、とても良い勉強をさせていただきました。羽野誠司さんのシンセサイザー演奏とトークはとても喜ばれて、女性のお客様からはヨン様と呼ばれてましたよ。
 今回、五所川原のライブハウスに集まった永澤先生の教え子の皆さんは、もう40代半ばです。大変お世話をかけた先生の声かけじゃ行かないわけにはいかないと、沢山の方がいらしてくれました。その同級生の中に、不幸にも前日亡くなられた方がいて、その人は先生が世話役のこの「ホタル帰る」を楽しみにしていたそうです。きっと彼も聴きに来ていたんじゃないかとみんなが感じた程、話しとダブって感無量だったそうです。また「こういう事は学校の教科書で教えなかった」とも。私の講談の出来不出来を抜きしても、この話の大切さが判りました。

 終了後、お客様が泣きながら楽屋にいらして、知り合いの特攻隊の生き残りの方から頼まれて、遠くから「ホタル帰る」を聴きに来たというのです。ご本人が来たかったのですが、もう病気が重くて来られない。知覧や鹿屋に行きたい、知覧で死んでもいい・・とおっしゃっているそうです。何だか、とても切ない気持ちになりました。私も連れていってあげたいと思いました。この話を演じる責任の重さを改めて感じさせられた瞬間でした。このように「ホタル帰る」を聴きたいと思っている人が全国に沢山いるんだと思います。出来るだけ、多くの方に聴いていただけるようにしたいものです。これは、トメさんではないけれど、私に神様が何かやらせたい事とは、講談でもって人の役にたて人の為に尽くせという事なのでしょう。道のりは険しくとも頑張ります!

2004年9月28日 (火)  
 新潟から戻ったら 東京も涼しくなってました〜。感傷に浸ってる場合じゃない、「南極〜」はまだやっと宗谷が出てきたところ。早く発進して南極着いて観測準備やらカラフト犬と遊びたい・・・と焦る一方です。
 青森での「ホタル帰るを聴く会」も目の前です。こちらの稽古しなおしと、「南極〜」を覚えるのとでもう大変。
 しかし、特攻隊を褒めるとなぜだか戦争賛美に結びつける意見が出てくるようです。でもあの時代、家族や恋人を守る為にはそれしか無いと言うほど追い詰められれば、私だって戦おうとするでしょう。敵に衝撃を与えようと思うかもしれません。あの頃の若者は凄いですよ。かつては尊敬出来る人物が周囲に沢山いたのに、現状はなんとも悲しいです。

2004年9月24日 (金)  
 腰痛はどうやら良くなりました。あ〜、しんどかった。長い残暑もようやく終ったのか、今朝はすっかり涼しくなりましたね。これからは、集中できそうかな・・違った、集中しなければばならないんだ! 気を引き締めて頑張ります、目標に向かって。
 ところで今日の生ゴミ出し、間に合って良かった。最近、ゴミ出しの時間が早くなって大変なんです。ゴミの後片づけの当番の方はもっと大変でしょうけど。どうしたらゴミを減らせるか思案してしまう今日この頃です。さて、これから新潟梅桜亭に行ってきます。

2004年9月21日 (火)  
 壊れたので直そうとして自分の背丈以上の網戸と格闘したら腰痛になっちゃった湿布したりでで2日目、それまでに何とかしないと梅桜亭で大変だな〜。
 「南極第一次観測隊物語」の前半を今月の梅桜寄席で掛けようと、必死に取り組んでいます。この当時の、日本の置かれていた状況がわかり、とっても勉強になる話だと思います。日本人は自分たちの歴史を、悪いところばかり誇張しないで、まず良いところを次の世代に伝える努力をするべきではないでしょうか。とかいいながら、昨日の高座は・・後悔の一席でした・・グスン!

2004年9月18日 (土)  
 考えてみると、講談の世界に入ってから色々な面で学ぶ事が多いです。これでも年々少しずつではありますが、進化しているように思います。それまで長い月日、どれだけボ〜ッと過して時間を無駄にしてきたことか・・・考えてみると大変勿体無いことでした。体力的には自分でも、もう重労働は出来ないかな・・と思いながらも、白馬三山に登ったり、梅桜亭での内弟子同然の生活から、長講のオリジナル講談まで、人はその気になれば結構頑張れるんですね。今が私の成長期ですから、「南極〜」の為にやることを制限したつもりが、まだあれもこれもと心中慌ただしい毎日です。とにかく今は20日のネタの準備、何年も掛けてなかったものだしねぇ〜。

2004年9月13日 (月)  
 両師匠「二葉会」の水戸支部に今年もお供させていただきました。とっても素晴らしい眺めのお庭での高座。しかしやってる最中とても煙い、どこからこの煙・・と思いながらの一席終えて、お辞儀をして判ったんですが、何と釈台の下に蚊取り線香が!
「わたしゃ〜、蚊じゃないよ! 20分もこれ吸ってたの??」
 30分や40分喋ってたらコロンと蚊のように高座から落ちてたかもしれません。

 終了後、いつもの美味しい手作りのご馳走をいただきました。その懇親会で若い女性のお客さまが、私の講談(曲馬団の女)を褒めてくださいました。そのとき、「どこで会えますか?」と訊かれたのですが、私は、そのネタのことのお尋ねかなと思ってどうでもいい事ばかり強調して、肝心のお応えをしませんでした。その後で、私の出演予定のことだと気づきましたが後の祭り。新島農園の宴会でお声をかけて下さった女性の方、勘違いしてすみません! まったくトンチンカンな梅星です。何処かで、もう一度お目に掛かれましたらお詫びしたいです。
 今日も素敵な月夜の高座でした。水戸の皆サーン、お世話になりました! 来年は、蚊取り線香は釈台の下に忍ばせないようにお願いしまーす。

2004年9月10日 (金)  
 昨日は両師匠の「二葉会」でした。琴桜師匠とご一緒させていただけるのは有難いです。古典ネタをくださる師匠と、私の高座に色々とアドバイスをくださる琴桜師匠。何かにつけ、尊敬出来る方です。
 
 ご病気が心配されました講談渥美塾の矢梅塾長も二葉会に見えました。普通そうに見えても、実はヤバイんだそうで、思っていることが言葉に出てこないんです。7月末の白馬登山から下山した時にお会いした時はお元気だったのに。お会いして「梅星!」と言っていただけた時には、おもわず涙がこぼれました。奥様の雅子先生も、ご自分だって、大きな手術をされてお身体気を遣いながらお仕事に復帰されてはおりますが、今とてもお忙しい最中でパニクっておいでです。涙が止らず目が腫れぼったい夜でした。

「いつまでもあると思うな健康」

 いつか身の上にも起きる事でしょう。ゆるやかに坂をおりられたらいいな〜。

2004年9月7日 (火)  
 すっかり秋らしくなりました。今年の夏は猛暑が続いただけに一層、秋のおとずれに何ともいえない物悲しさを感じてしまいます。それにしても、立て続けに襲来する台風や地震。ロシアの北オセチアでは大勢の子供を狙った残忍なテロ! 絶対に許せませんが、まったく何が起きるかわからない世の中に、この頃は、ノー天気で人の迷惑顧みず自分勝手という人と関わると無性に腹が立ってきます。
 あ〜、私は「人の事よりまず自分の事を」と決めたんだった。人をかまう時間があったら、先ず自分のことをやらなければ。そうです、新作「南極第一次観測隊物語」、皆様のご期待に応える為に、11月7日船の科学館での高座で梅の花を咲かせるように、絶対に気は抜けません。あれー、早朝は夏の日差しが戻ったかと勘違いするようなお天気でしたのに9時過ぎたら曇り空・・・。この頃は、ゴミの仕分けが細かくなったので土日以外は早起きです。

2004年8月29日 (日)  
 ディズニーランドのパレードは見たことがありますが、今日は「浅草サンバカーニバル」を初めて見に行きました。お天気が悪いので、灼熱の国ブラジルの祭という感じではなかったのですが、参加チームの熱気は見ている側にも伝わってきました。チームには中高年の女性も多く、ここでもウーマンパワー発揮といったところ。しかし主役の女性のスタイルの良いこと、感心しまくりです。彼女達には派手で優雅な羽のコスチュームもよく似合ってます。
 そう言えば住吉踊りの「SKDかっぽれ」、背中に着ける大きな羽、あれをやったら・・なんていう案を出された先輩がおりましたけど、もし私があれを着けたら大いに笑われること間違いなし! と、今日のサンバを見て改めて思いました。あれにならなくて本当に良かった。

2004年8月27日 (金)  
 今月は「住吉踊り」のおかげで忙しくさせていただき、充実した夏を過ごせました。あ〜っと、まだ今月の寄席が残っていましたね。
 ところで昨日は「相田みつを美術館」に行ってきました。

  <しあわせは自分のこころがきめる>

 私はこの言葉が好きで印象に残っています。

 <ひとの世の幸不幸は人と人とが逢うことからはじまる よき出逢いを>

 これは、その人生の明暗を分ける言葉ですよね。私も良き出逢いのお陰で、何とかやって来られました。次回の勉強会でかける新作も、多くの出逢いのたまものです。ご期待下さい。

2004年8月23日 (月)  
 あ〜、新潟梅桜亭から戻りました、もうヘトヘトです。21日に着いて先ずお掃除、そして休む間も無く宴会準備となり、わおーっと吠えたくなります。今回は羽野さんの御紹介の琵琶の先生がゲストでした。本当はえらい方らしいのですが飄々として欲張らない、奥様もご一緒でしたが良さそうな方で好感が持てました。
 今回は高座で、住吉踊り仕込みの「奴さん」を踊らせて貰う予定でした。一日目は出来ましたが、翌日は予定にない出演者が入ってしまって踊る事が出来ませんでした。全体の上演時間やそれぞれのプランもあるのに・・・こういう方々を熱心ととらえていいものか・・?? とにかく色んな面で学ばせていただいています。しかし、モウ〜もう・・私や牛ではないんだったっけ。つ・か・れ・た。

2004年8月20日 (金)  
 私の夏はここ数年、「住吉踊り」で始まり「住吉踊り」終るという感じになっています。しかし、暑く賑わいがあるだけに、終ると急に寂しくなります。あ〜、本当に住吉の師匠方に、この夏も大変お世話になりました。多くの経験と勉強をさせていただき、有難うございました。来年は、もう一つ踊りを覚えたいと思います。
 さて、今日から新潟の梅桜亭です。良い疲れとはいえ、だいぶバテているので、梅桜亭では早く寝られるといいのですけど・・・。

2004年8月19日 (木)  
 浅草演芸ホールの中席は明日までですが、私は明日から新潟の梅桜寄席がありますので「住吉踊り」は今日が最後です。今年は高座にも出させていただき、大変勉強になりました。毎日出掛けは、トトントトーン〜♪お囃子に乗って歩いてしまいます。普段からこうしてると、踊りも上達するかもしれません、何だか意欲が湧いてきました。さあ、今日は悔いのないように踊りまーす。

2004年8月15日 (日)  
 終戦記念日の今日は靖国神社参拝に参りました。あいにくの雨でしたが、それでも参拝者の数は、やはりずいぶん多かったです。ただ、揃いの衣装を身に着けた右翼団体のパフォーマンスを見ると、何だか不気味で、靖国神社のイメージを悪くしているようで悲しくなり、また、英霊に本当の思いで参拝するお年よりを見ると感激したりと複雑です。初めてでしたので色々と勉強になりました。
 そのあと、浅草演芸ホールへ。住吉踊りは今日も盛会、もう中日で、打ち上げでご馳走になって帰宅しました。一日涼しかったので身体は楽でしたが、目(コンタクト)の調子が悪く疲れました。明日は高座がありますのでよーく睡眠をとらなくては。

2004年8月12日 (木)  
 11日から浅草演芸ホール 中席「吉例納涼住吉踊り」が始まりました。今回は交互で13日と16日に高座にも出させていただきます。初日の大喜利風流住吉踊りには、「伊勢音頭」と「奴さん」と「かっぽれSKD」の3つも踊らせていただきました。なのに、イマイチ寝不足の為か緊張感がなく、愛想笑いして踊ってたら手を忘れたり、身体のバランスを崩してよろめいてしまいました。やっぱり太ってるのがいけないんでしょうか・・・(いや..単なる稽古不足です)。そう言いながら楽屋の差し入れカツサンドやお団子やプリンのお裾分けをいただき満足。よーし 次は頑張るぞ〜! やっぱり私は食い気なのでしょうか??

2004年8月3日 (火)  
 一段落ついたらすぐに、覚える事やる事があれもこれもと脳裏を横切ります。精神的には慌しいけどやり甲斐がありますし、支えてくれる方々の為にも何とかならなければ・・。両親にも、親孝行は生きてるうちにと焦ります。
 先日、実家の父親がコソコソと買い物に行ったそうで、私に贈り物が届きました。実はこれじゃない方が好きなんだけど・・と思いながらもお礼の電話をしたら、また送るって、ギョ! 私もお世話になった方に贈り物をしますけど、こういう事ってあるんだろうなぁ〜。
 暑い毎日、この夏も夏負けと自分に負けないようにしたいものです。ここ2日間は家に居て、ぐたーとしながらお洗濯にお掃除、そして梅星を応援して下さる後援会の方々への梅星通信を作成しておりました。やっぱり家にクーラーがあるのは有難い。お手紙書いても汗で、便箋が汚れてしまう・・。
さあ、明日からは住吉踊りの稽古、頑張ろう!!

2004年7月30日 (金)  
 新潟梅桜亭からそのまま長野県白馬村へ。とうとう北アルプス白馬三山を縦走してきました。標高2932mの白馬岳から、杓子岳、白馬鑓ヶ岳へと、険しい山道を2泊3日。充実の旅でした。お天気に恵まれ、みんなに助けられながらでしたが、自分の足で確かに登った充実感、その余韻を噛みしめております。初めての本格登山でしたので心配が先に立ち、おまけに出掛ける前には転落死や落雷死のニュース、鑓温泉にたどり着いたときには落石で怪我人が出たらしく、県警のヘリが飛んでいました。翌日、その現場を通りかかったときも、私達の少し前の人が落石に当たり、幸い大事にはなりませんでしたが、やはり山は危険がいっぱいです。しかし今回は本当にお天気が良く、山頂や登山道から見る山並みの素晴らしいこと、生涯の思い出に残る素敵な山登りとなりました。
 今日は、高座で座ったり立ったり、それと階段がちょっと足にこたえます。でも、心地よい疲れです。

2004年7月23日 (金)  
 21日の「ホタル帰るを聴く会」はあっけなく終りました。思ったより沢山のお客様がきて下さり、小屋に対してもが格好がつく感じで助かりました。再演でしたが、高座には、自分で十分に納得した仕上がりで上る事ができず、相変わらずの愚図振りでした。それに、B29をB25なんて初歩的な言い間違いも!
 でも、この「ホタルか帰るを聴く会」は毎年、何処かで演じたいと思っております。是非末長く応援していただきたいものです。今日はこれから、新潟梅桜亭に参ります。その後は白馬登山に連れていかれるかも?!ちょっと体力に自信ないけど・・・。

2004年7月16日 (金)  
 暑い暑い! この時期は避暑にでも行きたいところですが、今年も「夏の住吉踊り」に出させていただきますので、押し迫ってきたお稽古の方も白熱しております。稽古場はクーラーが入っても汗がダラダラ〜流れてきます。
 しかし顔のブツブツを考えなきゃ、夏は好きですが、この顔のブツブツは汗管腫という不思議な病気。まだ治療の手だてはないんだそうで、レーザー治療というのもありますが、お金が掛かる上に成功率は低いそうです。悪いものではないので夏だけ我慢しなさいとお医者様から言われていますが・・・。
 今日で靖国神社の「みたま祭り」は最終日です。私は2日目に行って参りました。今年から私も、小さい燈篭ですが献灯しました。「ホタル帰る」という作品に取り組んで、ずい分色々のことを学んでいます。「ホタル帰るを聴く会」も21日ですから、もうじきです。この夏、会場でお客様との素晴らしい出逢いや再会を楽しみにしております。

2004年6月28日 (月)  
 両親の上京は15年振りでした。前の時は私の仕事が忙しく、殆ど一緒に居られなかったので、今回は予定を空けておきました。父は念願の靖国神社に参拝できて喜んでいたのですが、丁度暑い日が重なり、日が経つに連れて疲れと蒸し暑さでへばってしまいました。ちょっと歩いては休み、またちょっと歩いては休みではあまり観光もできません。まあ、北海道では階段がないし、買い物といっても家を出た向かいにスーパーがありますが、こちらでは母親も、近所に買い物に出るだけで疲れた様子。お陰で早寝早起き、起床は午前4時ですから、私の方もたまりません。親が北海道に帰って、疲れた〜ままで、翌日から新潟の梅桜亭に行くことになりました。
 今回のゲストは、羽野さんと武藤さんの山岳映像と音楽と対談。お客さんも普段の梅桜寄席と違って、新鮮な山の映像を見ながら、音楽と撮影のヱピソードを聞きながらの和やかな時間を楽しんでおりました。本当はゲストが山岳映像と音楽ですから、それに合わせて新作の、「南極第一次観測隊」(山男達の話しでもあるので)のネタおろしをするつもりで、師匠にもお話しをしていたのですが・・、何だか知らないけど、私の前に2人も出たもので時間が取れず、仕方がないので別のネタになりました。羽野さんの台本ですので、羽野さん関係のお客様もそれを目当てに見えたそうで残念無念!
 昨夜のうちに東京に戻りカレンダーを見たら、もう今年も半年しかないんだ〜! 下半期は新作「ホタル帰る」と「南極第一次観測隊」。古典の方はバリバリのものを稽古します。馬琴先生から教えていただきました「箙の梅」と、一度短くはやった事があるのですが、師匠からいただいた「本能寺の変」もきちんと稽古します。

2004年6月14日 (月)  
 今月の高座は月末の梅桜亭のみとなりました。今回の梅桜亭は初めての試みで、山岳写真家武藤昭さんの山岳映像と羽野誠司さんの音楽とのコラボレーションがゲスト。大自然がテーマですので私も「南極第一次観測隊物語」のネタおろしをしようと思っています。これは羽野さんが、犬ぞり係を務めた北村泰一先生の著書を基に書いてくれたオリジナル台本です。
 原作を見せてもらいましたが、とても講談にするのは難しい内容を、羽野さんは実に上手く講談の台本にまとめてくれました。もう一人の犬ぞり係の菊池徹さんはカナダに在住しておりますが、この話を講談で演じること、応援して下さいました。10月の梅星の会で全部やりますが、取りあえずは時間の関係で30分位に短縮します。全体で1時間はある、これも大作です。
 そんな訳で高座は暇ですが、結構たいへん。それに今週は、両親が上京してきます。父は88才。母は、若い母親と羨ましがられてきましたが、もう75才です。特に父親は、70才前までは何処も悪いところがなく元気過ぎて(師匠みたい・・)、お酒を飲んでは母親に苦労を掛けていたのですが、祖父の葬儀の時に体調が悪くなり、検査をしたら食道癌でした。きっと、大黒柱だったおじいちゃんが、自分がいなくなった後このままでは皆が苦労すると、少し楽にさせたのではないかと話す事があります。
 母は祖父と父、続いて伯母(母の妹)と、立て続けに看病してきました。そして昨年まで祖母の看病・・・。何だか、母の半生は看護に追われたようなものです。それでも、父があのまま元気でお酒飲んでたら大変だったと思います。皮肉なものです。元気を喜べない事もあるんですから。
 高齢ですからあまり歩けないでしょうけど、何処か喜びそうなところへ連れて行ってあげようと思います。
 そんなわけで北海道へ両親を迎えに参ります。

2004年6月7日 (月)  
 二日間本牧亭に出演させていただきました。芦州先生の追悼会でしたので、三年前に二ッ目のお祝いに先生よりいただいた帯を締めて、高座に上らせていただきました。二日目の演題は「耳なし芳一」。追悼公演には合わなかったかな? それに、うろ覚えだったし・・全く、こんな自分が恐いです。
 主任の先生はもちろんの事ですが対談の「芦州伝」もあり、お客さまは盛り上がっておりました。苦しい事や大変な事も後で笑い話になり、良い思い出になるんですね。何もないより、あった方がいいという事でしょうか。
 今の私達二ッ目や前座は、確かに芸人臭さは無いと思います。それでも、私の場合は二ッ目になっても師匠の背中を見て修業出来るので、有難いと思います。いつの日か「琴梅伝」を語るのにネタに困る事はありませんが、しかし、師匠は20代の体力ですのでひょっとすると私の方が先かも・・・。
 来週、両親が上京します。そこで親に快適に滞在してもらえるようにと、大急ぎで部屋の改造を毎日少しずつしております。昨日は朝の4時まで着物の整理をしました。今日はホームセンターへいって整理箱などを購入します。あ〜新作を覚えねば・・・。

2004年6月1日 (火)  
 先輩から歌舞伎のチケットを頂きました。今日は師匠宅に寄りましたので、残念ながら途中からになりましたが、「鳴神」を見てきました。筋書きは、天下に名高い高僧が美しいお姫さまの色香に迷い墜落するという・・人間の本質に迫る話で、今でもありそうですが、鳴神上人が橋之助でお姫様が扇雀。花道に近い席でしたので、橋之助の飛び六方の引っ込みが間近に観られて感激でした。
 さあ、これから夏場の時間が取れる時は、暑さにバテてる場合じゃありません。古典の基礎を勉強しつつ、やっとのことで上演許可を得た新作を覚えなくてはなりません。羽野さん脚本の「南極第一次観測隊物語」。これは、原作者の方と正式に契約書を交わしました。これも、生涯私だけに許されたネタという事になりましたので頑張るワン!

2004年5月31日 (月)  
 昨日は初体験、「新選組バスツアー」のご案内をして参りました。もう、車掌さんと運転手さんに助けられて大変でした。丁度、詩吟会の先生方総勢45名という団体のお客様。行き届かない案内役で申し訳なかったです。でも、皆様暖かく見て下さいました。
 雨にという天気予報が見事に外れ、真夏の熱さでしたので、皆様さぞお疲れになった事でしょう。調布フェスタではソフトクリームをご馳走になり、深大寺ではお蕎麦をと、大変お世話になりました。これで、今月のお仕事は終了です。しかし、今月は随分勉強させていただきました。
 さて今日は久しぶりに部屋の掃除と整理。何でも取っておくと増えるので思い切ってドーンと捨てる事を考えることにしましょう。

2004年5月26日 (水)  
 今月は忙しかった〜。いや、そう言えばまだ大変な仕事が残ってたんだった。新選組のバスツアーのご案内。
 梅桜亭では、良きにつけ悪しきにつけ色んな事を学びます。お客さまは純粋に講談を楽しんで下さる暖かい方ばかりなのですが。
 梅桜亭を経営する両師匠も梅桜亭を経営して8年になります。これだけ続けるのは大変な事だと思います。もちろん地元の応援団の力添えがあっての事なのですが・・・。しかし、あまりにも親しくなりすぎると、本来の目的を見失ってしまうことがありますね。私などは師匠から、「芸人の紹介で仕事にいった時には、そこで名刺を渡すな」と言われています。「人のエリアを荒らしてはいけない」、これはこの業界の仁義ですし、伝統芸能の世界で生きるものには当然のことだと思います。それは、その芸人を応援する方たちにも理解していただきたいことなんですけど、あまり親しくなりすぎると、残念ながらこのルールが忘れられてしまうようです。これについては、今月のゲストの噺家さんも、同じような目に何度もあっているとおっしゃっていました。そういう仁義や美徳は、日本の文化から失われてしまったのでしょうか? 私はご贔屓の期待を裏切るような高座をやってしまう情け無い者ですが、そういう魂は忘れたくありません。

2004年5月24日 (月)  
 「すっぱいは成功の会」が18日終了。すぐに20日から新潟梅桜亭に乗り込み翌日21日は田植えのお手伝い、その翌日22日は昼間の寄席が跳ねてから小千谷で「ホタル帰る」の公演です。もう、もう、色々と大事な高座が間を空けずに続き、そのうえ梅桜亭でも間際まで小屋の仕事に追われて、今回ほど焦った事はありません。残念ながら全力発揮はできなかったのですが、日本中の人々に「ホタル帰る」を聴いていただきたいという目標のスタートが今回の小千谷市、宮川軍曹の生まれ故郷です。大力納豆の社長さんのはからいで、主催は「福桝」というそば屋さんで。ここではお陰様で多くの方のご協力をいただき、当初40人くらいでもと言っていたのが当日は100人以上のお客さまとなりました。小千谷市の公民館館長さんもいらして下さいましたので、是非、次回は公民館での「ホタル帰る」公演が実現する事を楽しみにしております。
 この作品のお陰で、小千谷では良いご縁が出来ました。梅桜亭ではいつまでも席亭の弟子扱いですが、こちらの方々は一人の芸人として見てくれてるのが嬉しかったです。これからもまだまだ紆余曲折があると思いますが、ご支援して下さる方々の期待を裏切らないよう、頑張ります。

2004年5月14日 (金)  
 忙しい時になぜか用事も色々出来るものです。今日は師匠が新ネタをお稽古して下さると言うので、前にいただいてた台本を、寝る間を削って書き写して製本して、復習いながらお宅に伺いました。ところが、私にはそのネタの事に関しては一言もなくてガッカリです。なにしろ目前に責任の重い仕事が3つ、その稽古を後にまわして頑張ったのに。なんだかグレる人の気持ちが解るような気がしました・・・。でも、ま、昨日はいい事があったから気を取り直して頑張ろう。
 実は、やっと新作ネタの上演許可が降りました。本当は今月の勉強会で掛ける予定だったのですが、元になった本の著作者の方との交渉が難航してしまいました。ここまでこぎつけるのは大変でしたが、台本を書いた羽野さんと、文藝春秋のT編集長さんのご尽力のお陰をもちまして、宝井梅星の口演に限り、許可していただける事になりました。「ホタル帰る」に続く新作は、「南極 第一次観測隊物語」です。これも日本の貴重な歴史の1ページ。梅星生涯のネタになりそうです。羽野さんには、またも良いテーマを見つけていただき感謝は尽きません。

2004年5月11日 (火)  
 世田谷文学サロンでのオリジナル講談「むかしの男」を語る日が、近づいてきました。今回は少し台本を手直しして自分の語り口調に合うようになったのですが、なまじ元の台本をきちんと覚えてしまってるので、混乱しそうです。しかも最初の説明部分を、長くなるし難しいので今までカットしてやっていたのですが、脚色の高瀬監督は、前の部分もあるものと思ってお見えになるので、さあ大変! 焦る焦る焦る梅星! 今日明日は盗賊を追っている鬼平になったつもりで頑張るぞー。でも、こんな時間の無いときに限って部屋を掃除したくなったり整理したくなったりして・・おかしなものですね。

2004年4月30日 (金)  
 4月最後の日です。疲れたー・・。なにしろ一昨日は、お酒を飲みすぎて酔っぱらってしまいました、グスン! 帰りの電車では手すりにしがみついても、すぐにウトウトと寝てしまいそうになるところは、師匠譲りと申しましょうか、いつも見てると仕草まで似てきてしまうのかもしれません。お陰で昨日の朝は二日酔いで気分が悪ーい。しかし、もうそろそろ夏の住吉祭りが近くなってますので、重い身体を引きずって住吉踊りのお稽古に参りました。あ〜頑張って稽古に行っといてよかった。
 今日は女流花便り寄席。来月の16日に世田谷文学舘「池波正太郎の世界展」で、鬼平犯科帳「むかしの男」をやらせていただきますので、その勉強の為に高座に掛けたのですが、やっぱりちょっと難しい・・・。もう少し語りやすく、しかも女の私の口に合うように、羽野さんに少しばかり手を加えてもらうことにしました。今から直すのは大変な事なのですが、台本を作っていただいた高瀬監督からお葉書が届いており
「16日はとても楽しみにしております。池波さんの為にも頑張ってください。心で語って下さい。心で、心で。」
 とのご要望です。これを裏切るわけには行きません。なんとしても、良い高座を務めないと。監督はいつも「自分の右手の上には師匠の稲垣さんで、左手が池波さんの鬼平犯科帳」とおっしゃっています。私は、監督の思いを少しでもお手伝いできるように、当日は全身全霊で高座に上りたいと思いました。

2004年4月27日 (火)  
 昨日新潟から戻りました。お天気は気まぐれでしたが一日だけ良い日がありまして、私も山に連れて行ってもらいました。草花でイカリソウやヒトリシズカなどの可愛い花や新芽が出ており、心安らぐひとときでした。また、ワラビやゼンマイやこごみなど、山菜も沢山食べてきました。美味しい料理法も教わりましたので、次の機会には無駄にする事なくお料理出来そうです。季節を思いっきり満喫できました。
 毎月、ここでは師匠が蕎麦を打つのですが、今度は私に蕎麦打ちを教えてくださるそうで・・有難い事ですが、あの〜できれば講談の方も・・。
 今日の昼間は「木遣り」のお稽古。楽しいし声の訓練にもなり、気持ちのいいものです。とは言え勉強会まであと20日程になりました。一席は短いものですが、もう一席の長兵衛は2席通すことになるので、一時間の長講です。これからが正念場ですから頑張らなくては!

2004年4月19日 (月)  
 バタバタしているうちに、私の来月の勉強会まで、もう一月を切りました。しかし、それ以上に大切な高座が「すっぱいは成功の会」近くに2ヶ所あります。私のオリジナル講談でお声をかけていただいたので、願ってもない事なのですが、プレッシャーにもなっております。だって私のオリジナル二席は師匠でさえも「難しくて出来ねえ〜」とおっしゃるのです。
 それに、もう一席の新作オリジナル講談も準備中です。こちらは誰でも知っている歴史的事実なのですが、同じ事実でも色々な見方があり、基本にしたい本の著作者の方が「資料提供」でなく「原作」でやって欲しいとおっしゃって、台本の書き直しなどが必要になりそうです。仲介をしてくださった某月刊誌の編集長さんと、脚色の羽野誠司さんのおかげで何とか許可が取れそうですが、手間が増えて大変なのに羽野さんは立派ですね。良い意味での頑固さと信念を持ってる方です。
 「ホタル帰る」の時も、大変で投げ出しそうになったいい加減な私を、羽野さんがやる気を起させてくれたから、協力して下さる方も現われて今日があります。そう言えば講談の古典で、家康が鈴木九三郎という家臣の意見を聞いたがために後に天下人になるという「鯉のご意見」というネタがあるんですが、私が講談を続けてこられたのは羽野さんの助言のおかげかもしれません。
 講談では仁義や親孝行、礼節や傲慢にならないこと等を説いてますが、心と言動は違うもの・・・色々と学ぶ事が多いです。

2004年4月10日 (土)  
 桜の見頃も過ぎてしまいましたが、予期せぬ事が起こる今日この頃です。私も、(一度だけ鑑定していただいた占いで)今年はあまり動かない方がよい年回りと言われているにも関わらず、気にせずに行動しておりますが、理不尽な事が重なると、やっぱり行くの止めればよかった・・余計な事をするんじゃなかった・・と、思ってしまいます。
 しかし、個人的な事では前向きに活動しております。多くの方に「ホタル帰る」を聴いていただくことや、今、手続きでちょっと難航している新作も、私の勉強会には間に合いませんでしたが、6月末の新潟・梅桜寄席ではかけたいと思っています。6月はゲストとして、山岳カメラマン武藤昭さんの山岳映像と羽野誠司さんの音楽とのコラボレーションがありますが、それと多少関連した演題です。この話も全部やりますと40分程になりますから、そう気軽には出せないのですが、時間が頂ける限り高座に掛けたいと思っています。この演題も「ホタル帰る」と同様に、大勢の方に聴いていただきたいお話です。

2004年4月6日 (火)  
 今日は、新扇組がありました。ネタを出してありましたので、昨夜から部屋にこもって、鬼兵犯科帳「むかしの男」を覚えていました。このネタは来月、世田谷文学館のイベント「池波正太郎の世界展」でもやらせていただく事になっているのに、なかなか取り掛かれずにおりました。そんな訳で、朝食と昼食の時間を惜しんで必死で仕上げた一席でしたが、いい稽古になりました。やっと夕食を食べて今日は早く眠って、明日はどこか桜を見に行こうかな〜。

2004年4月3日 (土)  
 家の近くの桜は先日の風の為に少し散りました。今日は両国一丁目の「花見の会」にお誘いいただき、楽しんでまいりました。皆さんが、幼い頃からの呼び名で呼び合っており、ほのぼのとほほ笑ましいですね。私には幼友達はおりませんので羨ましい〜。一席演じた後、美味しい手料理のご馳走とお酒をいただき、昼間からお酒を飲むことの無い私ですから、いい酔い加減に暖かさも手伝って、帰りの電車ではすっかり眠りこけてしまいました。そう、実は寝不足だったのです。明日のネタを準備しながら早くお布団に入りましょっと。

2004年3月29日 (月)  
 新潟梅桜亭から戻りましたら、桜が「お帰りなさい」と言ってくれてるように我が家の前で咲いてました! 本当にキレイですね。特に私は夜桜が好きで、この時期はよく夜道を散歩します。満開の桜の下を歩いていると、何かに眩惑されそうな、不思議な気持ちになります。
 もう靖国神社では、英霊達が桜の枝に集っているでしょうか?「ホタル帰る」の宮川軍曹も皆と会っている事でしょう。今回、5月に小千谷での「ホタル帰る」を聞いてもらう会は、おかげさまでお客様の予約が一杯になったそうで、追加公演がありそうだという嬉しいお話しが、大力納豆の社長さんからありました。今、新潟は梅が盛りでした。「梅星ガンバレ!」なんて自分で励ましたりしてます。

2004年3月25日 (木)  
 師匠に入門してからこの6年間というもの、毎月、川越の蓮馨寺辻講釈で始まり新潟梅桜亭で月の締めくくりという、決まった修業の場がありますので、思えばとても有難い事です。これからも辻講釈が有る限り川越に、そして梅桜亭が有る限り私でなくっちゃ〜と、使命感に燃える今日この頃です。
 ところで、5月の勉強会に予定しておりました新ネタが、今いち資料の引用許可が難航してしまい、もうチラシも作らねばなりませんので残念ながら古典に切り替えました。でも、許可さえいただければ6月に梅桜寄席でと思っております。この著作権や本人に許可をいただくことはとても大事なのですが、どうも寄席の世界では案外ずさんなようで、もしかするととばっちりを受けちゃったのかな? お客様が録音することやビデオ撮影も演者の許可が必要なのですが、これも以外に守られてないようですね。
 さあ〜、明日から新潟です。今月は久しぶりに、普通の寄席らしい演目になりました。

2004年3月16日 (火)  
 桜のツボミが膨らみはじめている今日この頃です。折角の良いお天気に恵まれたoffなのに、あれもこれもと胸中忙しい思いをしています。大概は目前の事からクリアしてるのですが、ここのとこやることが一辺に増えてしまい、頭の中がはち切れそうです。こんなに沢山覚えられるんだろうか・・?
 ところでこの間、某講談塾の生徒さんと帰りの電車で一緒になりました。この方は昔から講談の常連さんで知識がありますし、5年位前から講談塾に入って講釈もなかなかお上手。凄い講談好きで感心しますが、趣味で楽しめる人はうらやましい。仕事となると、楽しんでいる余裕は無いですから。
 さぁ、今月は予定通り進行して行かないと偉いことになりそうです。私の講釈は長距離マラソンならぬ長距離ウォーキングですから、もう少し先になってから花を咲かせたいものです。しかし、高橋尚子さん残念でしたね。

2004年3月11日 (木)  
 この時期になると、毎日スギ花粉予報がテレビや新聞に載っいるのが当たり前のようになりましたが、それよりもこの得たいの知れない病気は何とかならないのでしょうか?! 私はまだこの花粉症ではありませんが、毎年(いや年中という方も)苦しんでいる方が、一刻も早く完治する為の治療方はないのだろうかと思ってしまいます。
 しかしこう暖かくなってくると、溶けてしまうほどよく眠ります。ですから食事時間が全体に遅くなります。遅い夕食は体重も増えるし、身体にも悪いと言うことは分かっているのですが・・どうも・・ね。特にお饅頭やお菓子類の甘ーい誘惑に弱いので困ります。

2004年3月7日 (日)  
 日頃から元気だけが取り柄と頑張っていますが、この頃はしまったーと思う事が続きます。普段はあれほど気をつけているのにどうして・・・と、反省ばかり。「落着けば一人前」最近は、自分に言い聞かせてます。
 昨日、父親から電話が来ました。この頃は北海道の実家もヤフーBBフォンなので、安心して長電話ができます。父は一昨日が88才の誕生日でした。両親の誕生日は数字が入れ変わっただけで、母は5月3日生まれという、不思議な縁で結ばれています。お二人共どうか元気で長生きしてねー。

2004年3月3日 (水)  
 梅は咲いたか〜桜も咲いてるところもあるそうで「年々歳々花相似たり歳々年々人同じからずと....」しかし人も花も命がある限り一生懸命に生きるから素晴らしいんですね。春は生命体が息吹を、パワーが漲る季節です。きっと良い結果が生まれると信じられる季節です。
「ものの芽の ひとつひとつにこころざし」(伊藤敬子)
 今日は歴史上に残る名所をまわって大変勉強になりました。いい日よりでしたが夕方はまだ寒いので油断禁物ですね。

2004年2月26日 (木)  
 春が来たかと思うようなお天気が続くと軽快な装いで出掛けたくなります。先日、プレゼントしていただいた可愛いジャケット、フリーサイズでも私にはギュゥギュゥ。痩せるどころの騒ぎではなく体型が・・! これはどうにかしなければ健康にも悪いです。ところで、今度の新作も「ホタル帰る」に続き羽野さんの脚本で、とっても面白くて良い話なんです。五月の勉強会にかけるのを目標にしています。この陽気で梅は満開、梅星もチラホラ咲くようにがんばろう!

2004年2月23日 (月)  
 今日、新潟梅桜亭から戻りました。日中は雪晴れ、夜は雪冷え、今日は大雪。今回は昼席に夜席と充実した2日間でした。しかし、梅桜亭で私の寝室となっている、通称「中間部屋」は、最近は大部屋化して来てます。一昨日などは、男の人が3人も宿泊! そう言えば、師匠の出前寄席の旅の時は、女が私一人なので、宿では一人部屋にしてもらえていたのにえらい違い。でも、もう慣れちゃいました。女だからと気にしてたら仕事が出来ないので、よく眠るように心掛けてます。とは言っても、色んな意味で梅桜亭の心得というか、規則を作った方が良いのではないかと思うことも。
 21日は私のオリジナル講談「ホタル帰る」小千谷公演の打ち合わせ。大力納豆社長さんのおかげで上々の手ごたえです。この作品は意欲的に取り上げてもっともっと充実させて行きたいと思っております。

2004年2月19日 (木)  
 部屋を掃除してましたら、コンタクトレンズが畳の上にコロッと無傷で転がってたのでビックリ。これは多分先月、梅桜寄席で片方無くして割ったと諦めてたもの。
 あの時は寄席が跳ねてから師匠について行ったお座敷でご馳走になって、私としては珍しく酔っぱらってしまい、レンズを無くしてしまったものと思ってました。きっと酔っぱらって目にゴミが入ってか、外して仕舞っておいたのを忘れてるんだ、ギョ! この頃は師匠も酔っぱらうと記憶喪失になるけど、私も人の事云えないです。もうとっくにレンズは両眼新しく購入しましたけど、勿体無かったかなぁー。明日から新潟、今度はお酒は程々にしなきゃ..。さぁ、よーく眠っておこう。

2004年2月17日 (火)  
 やっと風邪が直りかけてきました。薬を飲まないので長引いてしまったのでしょう、10日間も鼻が詰まって風邪声でしたが、今日は大分元に戻りました。それにもっとスッキリした事は、確定申告を済ませて来ました。これで兎に角ホッとしましたよ。
 ところで、これから5月末までがかなり大変になりました! マズは新選組バスツアーのご案内を勉強をすることになりました。次は私の勉強会。このために新ネタを2席覚えます。古典が一席と、もう一席はオリジナル講談の新作を。これが重要なんですが、その上同じ5月に、これまでの梅星オリジナル作品二つを演じることになりました。どちらも大切な公演で、しっかり稽古せねばなりません。しかし、どうしていつも大変な事が重なるんでしょうか??

2004年2月11日 (水)  
 家具の移動を兼ねて部屋の掃除をしたら、埃や窓開けきって冷えたせいか、風邪を引いてしまって、しばらく何もやる気がしませんでしたが、どうやら大分良くなりました。
 このごろ迷惑メールが多いです。殆どお付き合いのない方からのアドレスでメールが来て、変わった名前で一方的に覚えていたので連絡してみると、送った覚えがないとの事です。たぶんウイルスメールなのでしょうけど、私のはマックなので、そういう危ない添付ファイルは開けられません。お陰で助かってます。なんだか今、多いみたいですね。宛先不明で帰ってきたように見せかけたり、本人のアドレスで来たりと・・。風邪や鳥インフルエンザだけじゃなくて、世の中ウイルスだらけです。

2004年2月3日 (火)  
 鬼は外に福は内。もう2月...時が立つのは早いですね。福が家に入ったせいでしょうか...嬉しい事が2ッありました。大力納豆の社長さんの計らいで5月末に小千谷でオリジナル講談「ホタル帰る」を上演出来る事になりました。それともう一つ、オリジナル講談の新作台本が出来上がってきました(演題はまだ内緒)。私も福々しいからってブクブク太ってる場合ではなさそうー。さぁ気を引き締めて頑張らなくっちゃー!

2004年1月27日 (火)  
  新潟梅桜亭は大雪でした。到着してすぐに水道管が破裂して大騒動。夕方には師匠のお供で五日市まで。終演後の宴席で、珍しくまともにお酒をいただいたら、これがいけない! 疲れもあったせいか、ダウンしてしまいました。ここのところ腰痛気味だし、おまけに寒波はやって来るしで風邪を引いてしまった上に、翌日は二日酔いですからもう、のっけから最悪でした。
 私の体調とは裏腹に、梅桜亭の新年会はいつもながら盛況でした。お酒にお料理に突き立てのお餅に、手打ち蕎麦までが並び、テーブルの賑やかなこと。そうしたら、お見えになってるお客様の中に、私の「ホタル帰る」を、まだ聞いて無い方が結構いらして、「今月、『ホタル帰る』やってくれるかと期待して来たんだけど」と、言って下さって・・嬉しかったです。5月か6月にはきっと・・。この話しはやればやるだけ自分の身体にしみ込んできそうです。今日は木遣りのお稽古でした。色々勉強していると何だか楽しくなります。

2004年1月19日 (月)  
 何だか慌しくしている内に一月も後半となりました。時が立つのは早いものですね。昨日はNHK放送博物館で「愛宕山講談会」でした。「寛永三馬術」の間垣平九郎が馬で登った出世の階段で有名な愛宕山での講談会ですから、私も張り切ってたんですが、ちょっとすべっちゃったようで・・。師匠は前日ブラジルから帰国したばかり。時差ボケとちょっと下痢気味で体調はあまり良くないようでしたが、「応挙の幽霊画」と「曲垣平九郎と度々平」の2席の大サービス、お客さんにも大受けで楽しんでおりました。やっぱり師匠は凄い方です。今日はこれから、ちょっと一息つきにスーパーお風呂に行こうと思います。

2004年1月11日 (日)  
 本年の初辻講釈、8日の川越蓮馨寺は突風の吹き荒れた日でした。師匠がこの日からブラジル公演に旅立った為、琴桜師匠がピンチヒッターでの登場です。そういえば入門して初めての蓮馨寺の辻講釈、平成10年の1月には雪が降っておりました。その時から、毎月欠かさずに来て下さるお客様もいらっしゃいます。あれから7回目のお正月を迎えたんですね、全く早いものです。この一年は充実させないと・・・。蓮馨寺の大奥様に「80年なんて、あっという間よ」と言われると、思わずドキッとしてしまいました。この日は寒風と土ほこりで、演じるほうも大変でしたけど、じっと聴いているお客様はもっと大変だったろうと思います。しかしこの日で慌しい年末年始もやっと一段落。今日は、後回しになっていた梅星通信作成に掛かっております。

2004年1月7日 (水)    「新年明けましておめでとうございます」
 お正月らしく国立演芸場で、「木遣り」のメンバーの一人で出させていただきました。とは言ってもなにしろ初めての事なので、気持ちの上ではもう年頭から緊張しっぱなし、新年を感じる心の余裕はあまりありませんでした。
 今年の抱負としましては、これまでの経験や勉強した事を中途半端にせずしっかりと稽古して、高座に生かせるように努力したいと思います。暫く講談を忘れておりましたが明日から切り替えなくては・・・。もう何年目?と聞かれると、ギョ〜!っとします。月日の経つのは早いもので、今年は失敗のない高座を目指して頑張ります。

2003年12月31日 (水)  
 遅い時間の電車に乗ると酔っ払いの乗客が目立ちますが、終点になっても寝むりこけてる男性の肩を、ポンと叩いて出ていった男の人がおりました。それも、出る時にさりげなくですよ。ちょっと他の人には気がつかない仕草ですが、一見風采の上がらないこの方の行動を見て、身なりや表面で判断してはいけないんだな〜と思い、いい景色を見た気分で帰って参りました。
 さて、色々な人たちに支えてられ頑張って来たこの一年も、いよいよ今日で終わりです。楽しかった事や悲しかった事、嬉しかった事や情けなかった事など沢山ありました。特に終盤は、予期しない事が多発して難儀でしたが、しかし先日、師匠宅の大掃除のあと、琴桜師匠のお買い物のお供をしてその帰り道、世間話と共に様々なアドバイスをいただき、日頃の反省と来年へ向けての気持ちの切換えが出来ました。昨夜はワーッと大声で歌って悪い種を吐きだしました。終わりよければ全て良し。あとは家の大掃除を済ませ、本年の健康と幸せを感謝して、叉お世話になった方々にも感謝して皆様の健康と幸せを祈り、新しい年を迎えます。